先日、初めて訪れたリユースショップで、よく使い込まれた魅力的な風合いのかばんに目が留まった。手に取ってみると、それは過去に私が作ったかばんだった。
値札を見ると、周りに並ぶ量産品のかばんとは一桁違う価格が付けられていた。店の方が、このかばんは何かが違う、もしかすると柿渋染めだろうか、と、想像しながら値段を付けてくれたのかもしれない。
数週間後、もう一度様子を見に行くと、そのかばんは新しい持ち主のもとへ旅立っていた。私は心から誇らしい気持ちになった。
もし私が工芸家として「作品」をつくる人生を選んでいたら、このとき抱いた感情は少し違っていたのかもしれない。今、私が作っているのは「かばん」だ。生活のなかで使われ、人から人へ渡っていく生活道具でありたい。
現在、博物館や資料館に並ぶ民具たちも、きっとこうして人から人へ受け継がれ、使われ、選ばれながら今日まで残ってきたのだろう。
100年後、もし私のかばんが民具のように残っていたら、こんなに嬉しいことはない。そして、その姿を見て未来の作り手が、新しい生活道具を作ろうと試みたならば、私は空から手を叩いて応援するだろう。
さらに欲を言えば、未来の小松さんのような柔軟な研究者たちが「この時代の工芸はこうだった」と盃を交わしながら、工芸の文脈のなかで私のかばんを論じてくれたら、それ以上愉快なことはない。
……と書いてみたものの、かばんが使い古され、最後には跡形もなく土へ還っている未来も、それはそれで爽快だなと思う。
この度は、ありがとうございました。
野村春花
News
2026.07.09
Ecotone:染織・民具・デザインの三地点



