2023.12.05
haru nomuraと人 素材をめぐる「柿渋」【前編:ヤマブシは柿渋染めを着ていた】
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。今回は番外編として、今年1年のブランドテーマでもあった「柿渋」の魅力に迫ります。柿渋の産地である京都府相楽郡和束町へ足を運びました。
前編は「ヤマブシは柿渋染めを着ていた」と題して、柿と日本人の暮らし、柿渋の歴史についてのコラムです。後編は、実際に現在も柿渋を製造している「株式会社岩本亀太郎本店」のインタビューをまとめました。2本立てで、お付き合いください。
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【haru nomuraと人 サイドストーリー 素材をめぐる「柿渋」】
前編:ヤマブシは柿渋染めを着ていた
「柿渋」は、haru nomuraのかばんを代表する色です。柿渋で染めあげる茶色〜墨色の野趣溢れる色合いは、均一化された現代の色の中で一際目を引きます。柿渋の補強効果によって生まれる硬い質感は、使い込むほどに身体に馴染むように柔らかく変化します。色、質感、経年変化、どれもが唯一無二の素材です。
先日ふと、haru nomuraで今年1年で使った柿渋の量を計算してみると300ℓと少し。工場で機械染めしているのならともかく、一人で手染めした量としては我ながら驚きです。染め上がりの色予想が例年よりも的確になっていたのは、作業の積み重ねのおかげかもしれません。一方で、大量の柿渋に触れていく中で、柿渋とはどんな素材なのか理解していないことにも気がつきました。今年のブランドテーマが「柿渋」だったこともあり、今年の締めくくりに素材に向き合ってみることにしました。
まず柿渋とは、渋柿の熟す前の青い実を潰し、圧縮した液を発酵させたものです。江戸時代初めに刊行された京都に関する百科事典『雍州府志』(1684)では、柿渋のことを「柿油」と記しています。強い防水効果がある柿渋の性質に「油」の名の由来があったようです。防水効果に加え防腐効果もあるため、古くから木製品・和紙への塗布や、麻・木綿などの染色、酒袋、漁網、和傘、漆器の下地などに利用されてきました。
柿と日本人の歴史は長く、縄文時代や弥生時代の遺跡から多数の柿の種子が発掘されています。「柿」を原材料として柿渋は製造されますが、実は柿渋の起源は明らかになっていません。書物に残されていないのは、生活に身近な素材であったからでしょう。
農業的な歴史から見れば、近代初期においては柿渋の原料となる柿は、課税の対象とされることは少なかったので、農民の貴重な収入源にもなっていました。ある本では、柿の樹は農家にとっての「生活樹」という言葉で表現されていました。また、かつては「渋染屋」という柿渋染を生業とする職業もあったそうです。とはいえ、藍染めを生業とする紺屋のように特殊な技術はいらず、染めた後干す場所があればできるため各家庭においても日常的に行われていたと考えられています。
柿渋の歴史を追っていく中で、今井敬潤さんが書かれた『ものと人間の文化史 柿渋』の「柿渋染めは、山伏やマタギなどの厳しい気象条件下の産地を生活の場とする人々が、雪や雨から身を守るために、防水を目的に柿の未熟果を衣服に直接摺り付けたと言うのが原初的形態ではないかと考えられる」という一説に目が止まりました。語弊を恐れずにいうと、柿渋で染めた色は、一般の人々とは異なると考えられたアウトロー的な人の標識の色とされていたそうです。
柿渋で染められた衣は、防水性・防風性にも優れ、毛羽立ち防止の効果もあることから、過酷な環境の中での修行や仕事を和らげる助けとなったことでしょう。硬かっただろうな、使い込んだヤマブシの柿衣はどんな質感だったのだろうな、とharu nomuraの柿渋かばんを触りながら思いを馳せます。柿渋の実用性と歴史的背景を備えた健やかな美しさに、益々虜になってしまいました。
話を現代へともどします。haru nomuraで柿渋を選ぶお客様の傾向として「1つのモノを永く使ってエイジングの過程を楽しみたい」という、モノへの意識を持っている方が多いように感じます。また、お洒落が好きなお客様曰く、コーディネートの中でハズしとして同系色の柿渋アイテムを取り入れると、全体のバランスが取れるのだとか。
柿渋という歴史ある素材が、ファッションアイテムとして可愛いからという純粋な感覚で世間に浸透していくことに、喜びを感じます。
(文・野村春花)