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より道。

5月某日の昼下がり。京都府、東山区にある、野村春花さんのアトリエを訪ねた。

その日はすばらしく晴れていて、夏の初めの日と言っても過言ではないくらい、昨日とはまるで空気の感じが変わっていた。

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料理をするように。

童話の中で、子どもたちが思わぬ場所に小人の棲家を見つけるように、アトリエへの入り口は、よく注意していても見逃してしまう細い路地の途中にあった。

野村さんいわく、今まで何度も人を呼んだことはあるけれど、だれもここまでたどりつけなかったのだそうだ。

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途中で見つけるもの。

釜場には大きな寸胴鍋がふたつ置かれていて、中には抽出を終えた染液がたっぷり入っていた。ひとつはログウッドの樹皮を煮出したもの。鍋をのぞいた時には黒っぽく見えたが、野村さんがおたまで掬ってやさしく落とすとそれは透きとおった赤紫色をしていた。滴り落ちる染液の色の美しさに、一瞬で心が引き込まれる。

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時間に触れる。

ユウゲショウを煮出している間、野村さんはお客様からあずかっているかばんのお直しに取りかかっていた。草木染めをした帆布の生地に革のハギレを組み合わせ、口は巾着のように紐で絞る仕様のナップサックだった。野村さんのつくるかばんには、重いものも安心して運べるような大きなかばんから、ポケットのような小さなかばんまで、大きさもかたちも様々なものがある。

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火の仕事。

コンロの火にかけているユウゲショウの鍋を覗くと、水の色が薄い黄色に染まっている。草の青い匂いはまろみを帯びて、ほんの少し甘くなった。数十分の間に、水と火の力で、素材の色も香りもずいぶん変化した。

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一瞬、の、永遠。

野村さんがこのアトリエで営む仕事の中には、数え切れないほどの、美しい瞬間が隠れている。

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おあげのこと。

おあげはアトリエの守り猫。

地域猫のしるしとして、片耳の先っぽに切れ目があり、桜の花びらのようなかたちをしている。

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時がもたらすもの。

玄関の扉の前は物干し場になっていて、その日は柿渋で染めたかばんがずらりと並んでいた。

柿渋は日光に当てることで発色するので、雨や雪の少ない季節に天日干しをすることが欠かせない。

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染めの時間。

媒染液に浸しておいた白い布を、ユウゲショウの染液に放つ。

火からおろしたばかりの染液はまだ熱いので、トングを使い、しばらく染液の中を泳がせる。布を手繰りよせては返す、この動きを染色の世界では「繰る」と呼ぶのだそう。

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より道。

5月某日の昼下がり。京都府、東山区にある、野村春花さんのアトリエを訪ねた。

その日はすばらしく晴れていて、夏の初めの日と言っても過言ではないくらい、昨日とはまるで空気の感じが変わっていた。

最寄駅から数分歩くと、観光客の姿もまばらになり、道路沿いには小さな商店街が続いている。

待ち合わせ場所に近づくと、ゆるやかな坂道を野村さんがこちらへ降りてくるのを見つけた。野村さんもほとんど同時にわたしに気がついたようで、遠くからでも、帽子の下でにっこり微笑んでいるのがわかった。

まっすぐアトリに向かうつもりでいたら、まずは木を見にいきませんか?と野村さんがおっしゃる。誘われるがまま野村さんと歩き出す。この先にいったいどんな木があるのだろう、期待がふくらんだ。

のんびり歩きながらこの街のことを色々と教えてもらう。清水焼きの窯元が点在している地域であることや、かつては芸術大学の学舎があったことなど。ここは、昔からものづくりと関わりの深い土地らしい。

神社の前で野村さんが足を止めた。実は、さっき私はこの道を通ってきたのだが、足元に散らばっていた薄緑の実に気を取られていて気がつかなかった。

そこにあったのは巨きなクスノキだった。

のびのびと枝を広げて、葉っぱが五月の風に細かくふるえながら、やさしくささめきあっている。

ご近所さんと挨拶を交わすみたいに、その木に向かってぺこりと一礼をする野村さんは、もうすっかりこの街に馴染んでいるように見えた。

こうして、その日のアトリエ訪問はより道から始まった。

粠田風子

料理をするように。

童話の中で、子どもたちが思わぬ場所に小人の棲家を見つけるように、アトリエへの入り口は、よく注意していても見逃してしまう細い路地の途中にあった。

野村さんいわく、今まで何度も人を呼んだことはあるけれど、だれもここまでたどりつけなかったのだそうだ。

一軒家の1階を借りて改修したアトリエは、もともと倉庫として使われていた。

改修の際、設計を担当したのは、建築関係の仕事をされている野村さんのお父様。故郷の長野から京都まで、なんども足を運んでくれたのだそうだ。配管を新たに通し、煉瓦を自ら積んで釜場をこしらえ、コツコツと手を加えながら、2018年の夏に『haru nomura』のアトリエが完成した。

それから今年で5年が経つ。

炎を受けて赤褐色に変色した五徳。床に染みついた柿渋の跡。天井近くまで積まれた収納棚にはかばんがぎっしり収められていて、野村さんがこの場所で積み重ねてきた月日を物語る。

土間のアトリエは涼しい。その代わり、冬は京都の厳しい底冷えの影響を受けるため石油ストーブが欠かせないが、そこには予熱を利用し、身の回りの植物で気ままに染める、ストーブ染色の楽しみもある。

かばんを染めるのとは別に、草や木や、ときには野菜もつかって、それらがどのように染まるのかを実験する。

一日一色、日記を綴るように。季節ごとに芽吹き、やがて枯れて行く束の間の色を、布に染めることでしばしとどめる。野村さんの大切なライフワークのひとつだ。

今日も身近な植物をつかって染めてみようということで、さっそく、染料を探しに外へ出る。

アトリエの隣の空き地はふたつあって、最近更地になったアパートの跡地にはナガミヒナゲシなどの丈夫で繁殖力の強い草花たちが一面に花を咲かせていた。その中から、道へはみ出すように咲いている花を摘む。ユウゲショウという淡いピンク色の小さな花だった。

料理みたいだよねと言いながら、野村さんは手際よく、シンクで余分な土を流して、寸胴鍋に水をため、花ごと刻んだユウゲショウを入れてコンロにかける。しばらく煮出すので、布を染めるまでには少々時間がかかる。

かばんを染めるための染液を作るときは、また何倍もの時間がかかるそう。

染料をじっくり煮出して、濾す作業を2時間。色を定着させるための下ごしらえとして、金属を溶かした液に布をくぐらせる「媒染」を経て、やっと布を染めることができる。1色の布を染め上げるのに約3日。柿渋から染める場合はおよそ2週間染めと媒染を繰り返す。

布は濡れている時の方が色が濃く見えるため、乾かした時にちょうどよくなるよう、加減することも必要だ。

このように、天然染料を使った染色は、どうしたって手間と時間がかかる。

しかし、野村さんは寄り道を歩む楽しさを知っている人。

まるで料理のように素材と向き合いながら積みかさねていく工程が、野村さんは好きなのだという。

粠田風子

途中で見つけるもの。

釜場には大きな寸胴鍋がふたつ置かれていて、中には抽出を終えた染液がたっぷり入っていた。ひとつはログウッドの樹皮を煮出したもの。鍋をのぞいた時には黒っぽく見えたが、野村さんがおたまで掬ってやさしく落とすとそれは透きとおった赤紫色をしていた。滴り落ちる染液の色の美しさに、一瞬で心が引き込まれる。

それは普段、染色の過程で野村さんだけが目にすることのできる、植物に秘められた色彩の、目の覚めるような美しさだった。

もうひとつの鍋の蓋を開けたときは、甘やかな香りが、鍋から静かにあふれた。

丁子(またの名をクローブ)を煮出したものだという。シンクのそばに干しているかばんは、この染液を使って染めたばかりとのこと。近くによってかいでみると、こちらにも微かに丁子の匂いが残っていた。

草木には色があり、そして香りがある。様々な工程を重ね、工夫しながら引き出していく色。ごくわずかに、かばんに残った香りは、植物が残す気配のようにも感じる。

粠田風子

時間に触れる。

ユウゲショウを煮出している間、野村さんはお客様からあずかっているかばんのお直しに取りかかっていた。草木染めをした帆布の生地に革のハギレを組み合わせ、口は巾着のように紐で絞る仕様のナップサックだった。野村さんのつくるかばんには、重いものも安心して運べるような大きなかばんから、ポケットのような小さなかばんまで、大きさもかたちも様々なものがある。いつも共通しているのは、袋のようにシンプルな見た目とかたちであること。そして丈夫で、時間とともに育ち、その人の癖なんかも覚えながら持ち主により添い続けること。

このナップサックは、2016年の夏に、今はなき京都のモーネ工房で発表したもので、以来7年ぶりの里帰り。野村さんにとってなつかしいかばんだった。

まずは、長く使う間に伸びて、端が擦り切れはじめていた革のパーツをかばんから外す。外された革は、表と、日の当たらない裏側とで色に変化がある。表は退色しておだやかな茶色に、裏には草木で染めた紫が残っていた。経年変化で柔らかく、くったりしたかばんを抱いて、野村さんはミシン台に向かう。

仕切りのないワンフロアの突き当たりは窓に囲まれた2畳ほどの小上がりになっていて、工業用のミシンが一台置かれ、燦々と日の光を浴びている。

その窓の向こうには、ぼうぼうとした空き地が広がっている。そこに生えているカラムシとおぼしき植物は、毎年夏になると、アトリエの窓を覆い尽くしてしまうくらい立派に成長するらしい。

低く唸るような音がして、カタカタとミシンが動き出す。

音が鳴っているのに、かえって室内が静かになったように感じるのは、野村さんが作業に集中しているからなのか。私は少し離れたところから作業を眺める。

アトリエの空気が一変して、時間の流れまで変わってしまったような。この不思議な静けさが心地よいのだった。

あらためて思う。そうだ、いつも野村さんはこうしてミシンを踏んで、かばんを縫ったり、エプロンをかけて、布を染めて、絞って、天日に干して。そしてときどきは窓の向こうの緑に目をやって手を休めながら、このアトリエで時を刻んでいるのだ。

野村さんの創作の時間に、いま、私は少しだけ触れられたのかもしれない。

粠田風子

火の仕事。

コンロの火にかけているユウゲショウの鍋を覗くと、水の色が薄い黄色に染まっている。草の青い匂いはまろみを帯びて、ほんの少し甘くなった。数十分の間に、水と火の力で、素材の色も香りもずいぶん変化した。

あ、とミシンを踏んでいた野村さんが小さく呟いて、手を止める。「いま使っている糸と違う。いまはこのポリエステルの糸を使っていて……」。7年前に縫製したナップサックに使われていた糸が、現在使っている糸とは違うらしかった。化学繊維の糸を使うのには、理由がある。

野村さんは、見ててね、とライターを手にとり、たったいま縫い終えたばかりのかばんの縫い端に近づけ、火を起こす。するとほんの一瞬糸が燃えて赤く光り、化学繊維の細い糸は黒く溶ける。天然繊維でできている帆布は燃えずにそのまま。糸だけが焼かれ、溶けて固まることで、縫い目が解けにくくなる。焼き留めという糸始末の方法なのだと教えてくれた。

かばんを丈夫にするために、ささやかだけれど、かばんの細部に宿るもう一つの火の仕事だ。

粠田風子

一瞬、の、永遠。

野村さんがこのアトリエで営む仕事の中には、数え切れないほどの、美しい瞬間が隠れている。

それはたとえば、ログウッドの鮮やかな色彩に心奪われたとき。

丁子の匂いを吸い込んだ瞬間。

明るい窓辺でミシンを踏む野村さんを眺めていたひとときも。

私は、眼が覚めるような感覚に陥ったのだった。時間の流れが一瞬変わって、目の前の景色がより鮮明になったりなんかして。

きっとそれは、心が微かに動いた瞬間なのだと思う。

イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクが言うところのEternity in an hour……だろうか。

人は美しい瞬間に出会ったとき、心が動いたそのひとときを、まるで永遠のように感じてしまうものなのかもしれない。

粠田風子

おあげのこと。

おあげはアトリエの守り猫。

地域猫のしるしとして、片耳の先っぽに切れ目があり、桜の花びらのようなかたちをしている。

ふらりとアトリエに顔を出し、仕事をしているときはさりげなくそばにいて、いたずらはしない。

おあげには、あつあげという仲間がいる。

アトリエの前の階段は、猫たちの通り道。あつあげの他にも、野村さんは日々様々な猫たちと顔を合わせる。

おあげのテリトリーは意外と広い。

ある日のこと、野村さんがアトリエから離れた意外な場所で、おあげとばったり出くわした。するとおあげは何を考えたか、さっと足早に歩き出し、やがて見えなくなった。

アトリエに到着した時、そこで野村さんを待っていたのはおあげだった。

「ずっとここにいましたよ」と言いたげな顔をして、扉の前に座っていたそうだ。

粠田風子

時がもたらすもの。

玄関の扉の前は物干し場になっていて、その日は柿渋で染めたかばんがずらりと並んでいた。

柿渋は日光に当てることで発色するので、雨や雪の少ない季節に天日干しをすることが欠かせない。

乾いているかばんに触らせてもらうと、その生地は柿渋の補強効果によって、麻とは思えないほどかたくはりがある。はじめはその質感に驚くが、つかえばつかうほど、色の風合も変わり、生地自体も持ち主になじむように柔らかく育つ。

同じ柿渋で染めた、野村さん自身が 8年使用しているかばんも見せてもらう。それは一言では表せない複雑で、深みのある色。艶があって、くたくたとしている。天日干ししているかばんと同じかたちのものだが、野村さんのかばんの方が、少しだけ大きく見える。8年の間に、かたちもちょっと変わってきたそうだ。

野村さんのものづくりにおいて、時間がもたらす変化とは、よろこびをくれるもの。かばんと使い手の間に心地よさを生み出し、草木で染める色は季節のように、うつろいでなお美しい。

色褪せることでかばんに現れる時間。過ごしてきた日々。かばんをむかえた時に感じた、はじまりの高揚感までもが、ひとつのかばんに記憶されてゆく。

粠田風子

染めの時間。

媒染液に浸しておいた白い布を、ユウゲショウの染液に放つ。

火からおろしたばかりの染液はまだ熱いので、トングを使い、しばらく染液の中を泳がせる。布を手繰りよせては返す、この動きを染色の世界では「繰る」と呼ぶのだそう。

真っ白い布は、染液の色に溶け込んでボウルの中にふわりと浮いている。

そして、冷たい水で余分な染液を洗い流すときはより鮮やかに、色がはっきりと現れてくるのだった。

5月16日。ユウゲショウ。アルミ媒染で明るい黄色。

カナリア色だね、と野村さんが染めたての色を見てうれしそうに言ったので、私は小さい頃に飼っていたフランソワーズという名前の鳥を思い出した。

カナリアじゃないけれど、羽根の色は、たしかこんな心が明るくなるような色をしていた。

ユウゲショウからもらった色がそっと引き出してくれた、遠い昔の記憶。

最後にもうひとつ、おあげのこと

おあげは、人の話す言葉をちゃんとわかっている。

というのも、仕事を終えた野村さんが帰る支度をしていると、その気配を感じとったおあげが立ち上がる。名残惜しそうにからだをすりよせるおあげに、野村さんは声をかける。

「また明日ね」と。

その一言で、おあげはアトリエをあとにする。

時刻は夕方6時。おあげのしなやかな背中が、西日を受けて眩しく光る。

粠田風子