Archive / 2023.02
2023.02.27
haru nomura_season ・ winter
今年は、アトリエでの作業の様子を伝えていけたらと、写真家の堀井ヒロツグさんにご協力いただき、季節の記録を残しています。
染色の過程で出会う、色や香り。
染料を鍋に戻す時の仕草、洗濯機の水の音、ミシンの振動。
今まで伝えることが難しかった一瞬の時間を、堀井さんが可視化してくれました。
火と水の仕事の端々を、季節に合わせてInstagramで少しずつご紹介します。ぜひご覧ください。
2023.02.01
haru nomura と人 vol.8守屋友樹(写真家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第8回目のゲストは、写真家の守屋友樹さんです。2014-2019まで、haru nomuraのかばんの記録やイメージ撮影を担当してくださりました。
まだharu nomuraというブランド名もない時期に、作った後に手元から離れていくかばんを記録しておきたい…とプロのカメラマンを探していました。そんな時、卒業制作の撮影で守屋さんに出会い、縋るように次の撮影を依頼しました。
はじめは、かばんの物撮りやメンテナンスの記録など、スタジオでの撮影を中心にお願いしました。徐々に、屋外で友人たちがかばんを持つ姿を映すようになりました。年に1回ほど、琵琶湖、砥峰高原、若狭など、少し遠出をして仲間たちと旅をしながら記録を残しました。かばんを持って、レンタカーを借りて、その土地のものを食べて、温泉に浸かり…。楽しい記憶しかないですね。その積み重ねが、いつしかブランドイメージとなりました。
守屋さんが写してくれたシャープなイメージ。haru nomuraの曲線的なプロダクトを引き締めてくれるそのバランスが新鮮で、ブランドイメージにより広がりを持たせてくれました。今回は守屋さんに、ご自身の日々の暮らしや制作活動についてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や暮らしについて教えてください。
京都を拠点に写真や映像などで記録する仕事をしています。同時に美術作家として写真やオブジェなどを用いたインスタレーション作品を発表しています。
仕事は、美術、建築、舞台、プロダクトなどのジャンルを横断した仕事をしています。京都や関西だけでなく、関東などの拠点から離れた場所でも依頼を受けています。さまざまな場所に行って思うのは、京都はコンパクトな都市でありながら近くに自然があるという良さを実感しています。山や川などが自転車で行ける距離にあったり、自宅の最寄りには壬生寺というお寺があったりします。そのお寺は新撰組や壬生狂言などが有名で、タイミングが合えば狂言を見に行くようにしています。自然と文化が身近にあると、仕事や制作の範囲を越えた視点を与えてくれたり、気持ちにゆとりを与えてくれます。
本を読むのが好きなので、撮影などが延期した日などは1日読書して過ごしています。コロナ前は歴史や文化表象に関わるものが多く、コロナ禍になってからは神馬さんが薦めてくれた村上春樹と川上未映子の対談本をきっかけに小説を多く読むようになりました。10代の頃、「海辺のカフカ」を読んで村上春樹の小説が苦手なままだったのですが、改めて読み返すと受け取り方は全く違うものでした。年齢を重ねたことで読むことができたのか、たまたま関心のある話だったのか。理由はいくつかあると思います。ただ嫌悪から好感に変わるといった価値の転換を体験した貴重な読書だったと思っています。小説に限らず、絵画や彫刻、映画などの芸術全般でも同じように何度でも出会い直せる機会があることや、今は苦手な作品だけど、いつか別の機会に好きになれる日が来るかもしれない。そのことを小説から教わったと思っています。僕にとってこの体験は、最近で一番嬉しいことでした。
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Q.制作テーマについて教えてください。
僕は「不在、喪失」をテーマに制作をしています。1995年に阪神淡路大震災を経験し、その時に撮っていた自宅の写真がテーマの基となるものでした。どのような写真かというと、部屋のあらゆる物が崩れ荒れてしまった様子が写っているものでした。僕は、荒れた様子を見て地震そのものが写っていないことに気がついたり、当時のことを思い出していたりしていました。目で見ていると同時に記憶を見ている。その体験が、ない(過ぎ去ってしまったものや無くなってしまったものなどの)ものに対する関心を強くしたきっかけだと思います。
被災してから25年以上経ちました。大学で学生と話をしていると東日本大震災以前の震災を知っている子がほとんどいない。学生たちが生まれてくる以前に起きたことなので知らなくて当然かもしれません。そのことを知ると同時に自分が当事者であり、語り部であることを強く意識するようになりました。ビルの大家は戦時を体験した方で、会うと戦争の話をしてくれました。90歳のご高齢で、僕に語りかけてくれる声はいつか沈黙してしまうことを予感しています。情報が常に更新される社会になって、新しいことが増え続けていく。今ばかりに囚われてしまって、過去のことは忘れられてしまうかもしれない。記録や記憶を引き継ぐことの困難さを感じずにはいられません。ないものとどう関われるかを考えていると、不在や喪失という言葉に興味を持つようになりました。
アラン・レネ監督の映画「ヒロシマ・モナムール」が好きでたまに見返しています。乱暴にあらすじをまとめると、ヒロシマが負った過去の痛みと過去に恋人を失った痛ましい記憶、痛みを通して戦争の悲劇と個人の悲劇が重なっていく物語で す。この映画から歴史的な理解を共有すると同時に、目には見えない痛みが共有されていることに深く感動しました。
失ったものを共有したり、形に置き換えることに悩んでいた時に出会えた映画でした。僕にとってとても思い入れのある映画です。痛みを通して歴史を知り、個人的な過去を思い出す。いつか僕もそういう作品が作れるといいな。
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Q.haru nomura2014-2019の5年間の撮影を振り返って。
野村さんとはじめて出会ったのは、彼女の卒業制作の作品撮影の時でした。当時、僕は大学で働きながらフリーランスの仕事をしていた頃だったと思います。撮影中、パートナーから僕の話を聞いていると唐突に話かけてくれました。とても驚いていたことを覚えています。それから、時々かばんの記録をお願いされるようになりました。はじめは、かばんの記録を中心に物撮りとしてスタジオで撮影したり、展覧会の記録なども撮ったりしていました。ブランドのイメージに関わるようになったのが、2015年に発行された「haru nomura issue #1」を作る時だったと思います。
haru nomuraのかばんは、持つ人によって色の褪せ方や痛み方が全く違う。それは、かばんと過ごす時間や積み重ねていく記憶そのものだと言えます。誰かと過ごす時間や、1人で過ごす時間、いろいろな時間をかばんと共に過ごしている様子として写真に残せるといいなと思いながら関わっていました。
「haru nomura issue #1」では後輩の成瀬さんにモデルをお願いし、野村さんのご自宅にお邪魔して撮影しました。リビングや共用廊下、屋外に出てたりして撮りました。撮影から戻る途中、成瀬さんと野村さんの後ろ姿が冬の光に当てられた景色が穏やかで美しかった。その時に撮った写真は、少しピントが外れていますが個人的に気に入ってます。この写真をもとに吉田くんがイラストを描いてくれたのがとても嬉しかったです。
京都市内だけではなく、琵琶湖、砥峰高原、若狭など市内から少し遠い場所まで遊びに行くように撮影をしました。haru nomuraの記憶を積み重ねつつ、友人(かばんを持つ姿)を見つめるように記録した5年間だったと思います。
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Q.印象に残っている1枚があれば教えてください。
砥峰高原での写真がとても印象に残っています。蒲原さん、佐貫さん、吉田くんをモデルに道中撮影したり美味しい昼食を食べたりしながら向かいました。高原はとても寒かったけど、日の光によって淡くなったり濃くなったり変化に富むススキ、深い緑の木、透き通った小さな池があったり、寒さを忘れるくらい自然の豊かさに包まれたことを覚えています。帰り際に雪が降り始めて、さまざまな色が淡く濃くまだらに変化していく光景が忘れられません。
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Q.さいごに
一昨年、去年の春に長野県内にある美術館で撮影の仕事をしていました。仕事の合間だったり、休み時間を利用して志賀山まで登山をしに行ったり、千曲川を散策したりしていました。どこも野村さんの地元から少し離れた場所でしたが、「こういう風景を見て過ごしていたのかな」と想像しつつ山や川、街並みを見ていました。僕にとって縁遠い風景が、身近に感じられるだけで心細さが少しだけ和らぎました。誰かを思い出せる場所があることは、とても大切で幸せなことだと思った。
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【Profile】
守屋友樹 Yuki Moriya
美術家/写真家。
1987年北海道生まれ。かつてあった景色や物、出来事などを想像する手立てとして「不在、喪失」をテーマに制作している。
・Instagram
@moritotani