Archive / 2024.04

2024.04.01

haru nomura と人 vol.21 鎌田裕樹(有機農家・文筆業)

haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第21回目のゲストは、有機農家・文筆業の鎌田裕樹さんです。

鎌田さんとの出会いは、恵文社一乗寺店です。鎌田さんが書店員だった頃に、ギャラリーアンフェールで開催したharu nomuraの展示会で、立ち話をしたのがきっかけです。書店を離れ、有機農業の道へ進まれた後も、同世代ということもありご活躍を励みにしていました。講談社の文芸誌「群像」で連載されているエッセイ「野良の暦」も、いちファンとして楽しみに読んでいます。

今春に農家修業を終え、故郷の千葉で農家として独立されるとお聞きし、昨年の11月、写真家の堀井ヒロツグさんと一緒に大原の畑を見学に行きました。鎌田さんが練習用に借りていたNO.21の畑を案内してもらい、野菜のこと、土のこと、暮らしのことなどを教えてもらいました。自然と共に生きる真摯な仕事ぶりに、背筋が伸びたのを覚えています。ぽつりぽつりと確かめるように話される鎌田さんの言葉には、土の匂いがありました。

今回は鎌田さんに、これまでの京都での暮らしや、春からの千葉での農家としての独立についてお聞きしました。haru nomuraのかばんにぴったりの文庫本も選書してもらったので、ぜひ最後までご覧ください。


Q.京都での暮らしや、お仕事について教えてください。

京都の街から少し車を走らせた山間に、大原という場所はあります。三十代、四十代の、若い有機農家が集まる農産地です。三年の間、この土地の農家に勤めながら、実地で有機農業を学びました。夏はたくさん汗をかいて、暑さで頭が煮えそうになったら、高野川に飛び込んで泳ぎました。冬はたくさん降った雪を掻き分けて人参を掘りました。今、土手では、土筆や蕗の薹が顔を出しています。農家修業を終え、この四月に故郷の千葉県に帰り、ひとりの農家として独立します。農家の卵から、農家の雛鳥へ、自分にとって、この春は孵化の時期です。

京都に住んでから十四年が経ちます。ずっと農業に携わっていたのではなく、二十代は本屋で働いていました。田舎から大学入学をきっかけに京都に越してきて、すぐに本屋のアルバイトをはじめました。生まれ育った家は、周りに田んぼしかない場所で、近くに本屋はありませんでしたが、中学校の図書室で出会った中島敦の「山月記」や教科書で読んだ漱石をきっかけに本を読むようになりました。大学を出てからは、恵文社一乗寺店という本屋で働きました。

そんな“本の虫”が、なぜ農家になったのかと言うと、やはり本や言葉がきっかけでした。そのうちの一冊に『忠吉語録』があります。子を授かり、新たに母親となった著者の野津恵子さんは、子育ての不安を抱えながら島根県にある木次乳業の創業者、佐藤忠吉さんの元を訪ねます。低温殺菌牛乳“木次パスチャライズ牛乳”の、黄色と赤のパッケージに見覚えがある方も多いでしょう。当時、すでに百歳近い年齢の忠吉さんとの会話のなかで印象に残った言葉をまとめたのがこの本です。本の仕入れのなかで、この本に出会い、忠吉さんの、柔らかく、優しく、それでいて、厳しく、芯が通った言葉に惹かれました。本屋として働き、無数の言葉に囲まれ、大好きな本にたくさん出会いましたが、自分もこんな言葉を話してみたいと思ったのはそれがはじめてでした。そこから、綾部の農家を訪ねてみたり、昔の百姓が書いた本を読んだりするうちに、気がつけば農業の道へ歩みを進めていました。地に足がついた言葉を探すこと。自分が農業をはじめた理由です。

講談社の文芸誌「群像」でエッセイの連載がはじまったのは、農家見習い二年目の夏でした。目や体や、舌や頭が、本屋から農家に変わりつつある自分のことを、学びの途中にいる未熟者の記録として書いたのがエッセイ「野良の暦」です。畑仕事を終えてから、夜は文章を書いていました。土まみれの手で、ネギ臭い手で綴った文章群です。そこには、畑で働くなかで見つけた季節のことを書いています。自分の京都の生活は、本屋からはじまり、そして、農業と文章という生業を見つけたことで、一旦の区切りとなります。これから、新しい日々がやってきます。

Q.春からの千葉での暮らしについて。

この文章がみなさんの目に触れるころには、故郷の千葉の畑で、ひとり、大急ぎでジャガイモの種芋を植えていることでしょう。生まれ育った家は商店の家系ですが、四枚ほどの田んぼと小さな畑を持っています。その農地を使って、農業を営んでいきます。父の代までやっていた商店の名前をいただいて、屋号は“ひろや”と言います。

ジャガイモやビーツ、ナスや万願寺唐辛子、里芋や生姜、落花生やサツマイモなど、夏がやってくる前に植える野菜はたくさんあります。自分がやっていく農業のスタイルは、多品種の有機農業で、どれかひとつの野菜をたくさん育てるのではなく、細々と、いろんなものを育てます。年間の品目数は、四十品目から五十以上になります。その時、畑にあるものを野菜セットとしてお客様にお届けすることを通して、季節と生活を共有していきたいと思います。

農業は、季節とともにある仕事です。“野良”という言葉には、“野を良くする”という意味が込められているそうです。野良の暦には、四季よりも、二十四節気七十二侯よりも、もっと細やかな、毎日の移ろいがあります。そして、山や水、土や風のことを見つめる仕事です。故郷は千葉県君津市の鎌滝(かまたき)という場所です。鹿野山の伏流水が井戸水として自噴する地域で、もともとは海だった場所ですから、山の地層の前を歩けば、貝殻や珊瑚の化石が見つかります。そんな風土のこともお伝えしていければと考えています。野菜から、二百年前に山に降った雨水のことや、太古の鯨が泳いでいた海のことを想像してもらいたいのです。

Q.haru nomuraのかばんについて思うこと。

haru nomuraさんのアトリエに遊びにいかせてもらった際に、持参した綿の布を野村さんに染めてもらいました。そのとき使ったのは、“丁子”、スパイスなどで知られる“クローブ”です。寸胴の鍋で色を煮出している間、丁子のスパイシーな香りが、部屋中に広がってきました。染色作家の志村ふくみは、エッセイ「桜の匂い」のなかで、「色が匂う」という表現を用いています。お湯を注いだお茶が色を出すように、鞄や布の染色に使う素材の色も、喩えとしてではなく、実際に香り立つのだと、鍋をかき混ぜる野村さんの丸っこい背中から、自分も体感しました。

最初に購入したharu nomuraさんの鞄は、藍の美しい色が出た“Pocket”でした。ちょうど、農業をはじめたばかりの頃でした。普段のお出かけの時や、農作業中に肩にかけて、メモ帳を入れて使わせていただいています。よく見ると、タグに素材や、染めた日付のこと、気温のこと、湿度のことも書いてあります。自分の農業日誌の書き方とよく似ています。

大原で染色をされているベテランの方に聞いた話では、肥料によって、藍の発色も変わるのだそうです。そのひとは、福井まで昆布を貰いにいったり、豚の糞を肥料にしている藍を千葉の農家から買い付けたりしているとおっしゃっていました。そう考えると、染色と農業は近い、というか、ほとんど同じ世界の話なのだと思います。気候や素材のことを、タグに書き記してくれるharu nomuraさんの鞄から、そんなことを考えます。

Q.Pocketに入れて持ち運ぶのに、おすすめの文庫本。

話題に出したので、志村ふくみの『色を奏でる』(筑摩書房)はどうでしょうか。あるいは、動物学者、日高敏隆の『春の数えかた』(新潮社)や、幸田文の『木』(新潮社)もぴったりだと思います。自然のことを書くというのは、自ずと、季節のことを見つめることになります。“Pocket”は散歩がしたくなる鞄なので、季節のことを書いたエッセイを携えて、川沿いで春の草花を眺めながら、座って読むのは楽しいと思います。

Q.さいごに。

春から自分の農園をはじめます。初出荷は、おそらく、夏のはじまりのあたりで、ジャガイモやナスになると思います。あるいは、家の近くの竹林で掘れる筍かもしれません。今年、「野良の暦」も一冊の本になる予定です。自分にとって、農業修業中に播いた種が、一斉に芽を出す年になりそうです。また、野菜の出荷がはじまったら、どうぞよろしくお願いします。

【Profile】
鎌田裕樹(かまたゆうき)
1991年千葉県生まれ。有機農家、文筆業。元、本屋。農業と、文章を書くことを主な生業とする。2024年4月より、千葉県君津市鎌滝にて、農園「ひろや」開業。文芸誌「群像」(講談社)にて、エッセイ「野良の暦」連載。

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