Category / haru nomruaと人
2023.09.01
haru nomuraと人 vol.15 安野真理恵さん<User>
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第15回目のゲストは、Userの安野真理恵さんです。
今回Instagramに投稿された1枚の写真がきっかけで、インタビューを依頼することになりました。その写真には、異国であろう地に佇む男性の後ろ姿と、旅するかばんが映っていました。写真に目を奪われて、思わずメッセージを送りました。
やりとりをしていくうちに、写真に映っていたのはご本人ではなくパートナーであること、写真の旅するかばんは誕生日プレゼントとしてパートナーに渡したものであること、写真を撮影した地はアイスランドであること。そして何より、安野さんとパートナーの旅が、人生が、とても豊かであることがわかりました。安野さんと、初めてやりとりをした気がしないな〜と思ったら、過去に思わぬ繋がりもありました(インタビューを読んでみてくださいね)。
今回は初めて持ち主ではなく、プレゼントとしてかばんを贈った安野さんにお話をお聞きします。ご自身の暮らしについてや、アイスランドへの旅について、プレゼントを選ばれたときのことについて丁寧に答えてくださりました。写真も素敵なので、ぜひじっくりとご覧ください。
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Q.普段の暮らしやお仕事について教えてください。
東京で6年間グラフィックデザイナーをしていました。今年の春にデザイナーを辞め、一年ほどは働くことから離れてみようと思っています。社会に出てからデザインの仕事しかしてこなかったこともあり、身体を通した体験や経験の少なさが気になっていました。そのため一度しっかりと立ち止まって、自分に意識を向けてあげる時間が必要だと思い、この一年は自分の心が喜ぶこと・心地よいと思えることに素直に従ってあげることにしました。アイスランドへ行ったのも仕事を辞めてすぐのことです。わたしの旅はアイスランドから始まりました。
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Q.haru nomuraのかばんをプレゼントに選んだ理由。
パートナーとのお付き合いが始まったばかりの頃、直近で彼の誕生日が迫っていました。プレゼントを渡したいけれど、わたしは彼とこの先どんなことがしたいのだろう…と考えたところ「二人で旅がしたい」と思い至りました。それは物理的に旅をすることもそうですが、人生を旅感覚で楽しんでいける関係性でありたいという思いがありました。そんな時インスタグラムで haru nomura さんの 旅するかばん の投稿が流れてきて、これだ!とビビッときて、すぐに購入させていただきました。大切な人に、自分の想いがそのまま形となって伝えられるプレゼントというのは、中々ないように思います。彼も遠出する時は旅するかばんを使ってくれていて、その姿を見るとわたしも嬉しくなり、出会えたことに感謝しています。
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Q.アイスランドの旅について。
アイスランドはイギリスのさらに北西にある、北海道と四国を足したくらいの大きさの島なのですが、国道1号線という島をぐるりと一周している道があります。5月にキャンピングカーを借りて、2週間かけて島を一周してきました。キャンピングカーにはキッチンもベッドも付いているので、立ち止まったところがすぐ家になるという感覚が何とも身軽で心地よく、移動しながら小さな家で暮らしているようで楽しかったです。
また、アイスランドの風景は地球ではない何処かの惑星のようと言われるほど、普段日本に住むわたし達が見ている地球とは異なる世界が広がっています。いつからか時々、人類が誕生する前や、反対に滅んだ後の世界に想いを馳せて、心が安心することがありました。そういった意味でアイスランドは人や文化の痕跡が少なく、ただただ広大な大地や海が広がり続けている国なので、自然と心惹かれたのだと思います。
特に印象に残っているのは、島の南側の外れにあるDyrhólaeyという半島から見た海です。この半島は鳥たちが繁殖のために滞在する場所のため、訪れた時は鳥たちの世界にお邪魔しているような感覚でした。深い霧と強い風に包まれながら30分ほど歩き続け、半島の先に到着すると、今まで見たことのない灰色一色の海が広がっていました。母なる海という言葉があるように、どこか海には母性のようなものを感じてきたのですが、ここから見た海は全てに完璧な無干渉で、ただただ圧倒的な存在としてそこにありました。温度を感じない、けれど恐怖を感じることもない、何かの感情が生まれることさえ憚られるような圧倒的な存在を前にし、生まれて初めて言葉が出なくなる体験をしました。そして地球上で一番強い物質は海なのだと理解しました。あの海を見るためにアイスランドへ行ったんだなと今は感じています。
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Q.かばんのお気に入りのポイントは。
旅するかばんをプレゼントとして購入したいと相談のメールをさせていただいた際、野村さんから「カラーはプレゼント用であれば、染料で染めていない生地そのままの色である生成が良いかと思います。何年かは生成で使用し、馴染んできた頃に、今度は彼が自分の好きな色に染め直して、新たなかばんとして楽しんではいかがでしょうか」と提案していただきました。色選びで迷っていたので、野村さんのお話がしっくりと来て、色は生成を選びました。
購入した時に完結しているのではなく、購入してからも変化していく余白のあるところに魅力を感じています。野村さんが自然と関わり作り出す、光あふれる優しい色たちの中で、私たちの旅するかばんは何色に変化するのだろうとゆっくりとその時を待っています。
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Q.さいごに
武蔵美に行く前に、野村さんと同じ大学に2年間通っていました。覚えてらっしゃらないかと思いますが、実は一度だけ野村さんからお声を掛けていただいたことがあります。わたしが学内の長い坂道をカートを使って荷物を運んでいたところ、野村さんが「大丈夫ですか?」と声を掛けて下さり、坂の上まで一緒に荷物を運んで下さいました。もう10年ほど前のことですが、心温かくなる出来事だったため、今でも記憶に残っています。あの時感じた野村さんの自然体な優しさと柔らかい雰囲気が、haru nomura さんの商品全体に流れているように感じています。
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【Profile】
1992年大阪生まれ。2017年武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。卒業後は出版社とお茶メーカーにてグラフィックデザイナーとして働く。2023年デザイナーを辞める。直近の目標はニュージーランドにある島の南北を貫く3000kmのハイキングコースに挑戦すること。
【Instagram】
nut.of.rice
2023.08.01
haru nomura と人vol.14 大道良太さん<養蜂家・狩猟者>
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第14回目のゲストは、養蜂家・狩猟者の大道良太さんです。
大道さんをご紹介する時、どのようにみなさんにお伝えしようかとても悩みました。
直球にいえば、養蜂家・狩猟者。けれど、大道さんにとっては養蜂も狩猟も、ごく当たり前の生活の一部。肩書きというよりも、もっと自然なこと。
もしかしたら、自然の中で暮らしを営む「生活者」としての大道さん、というご紹介の仕方がピタリと合うかもしれません。
ある時、大道さんの採集した蜂蜜を頂いたことがありました。その味の豊かさに、蜜蜂や植物や土や空気や、関わる人の手の存在を強く感じたのを覚えています。毎朝トーストに塗るのが嬉しくて、朝起きるのが楽しみになったくらい(北白川ちせさんに置いていますよ)。美味しく満たされたと同時に、私もそんなものが作りたいと憧れたのでした。
淡々と四季を生きていく。厳しさも豊かさも含めて命を感じていく。その強さは、人間としてとても魅力的です。
今回は大道さんに、自然と動物との暮らしについてお聞きしました。
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Q.普段のお仕事や暮らしについて教えてください。
春から秋にかけて養蜂を行っています、狩猟は冬に行います。
春、暖かくなるとミツバチたちはゆっくりと活動を始めます。少しづつコロニーを大きくし、外敵や気温などに負けないチームを作り上げていきます。そこに少し手を加えてやって採蜜量を増加させ、その分を※彼女たちから分けて貰います。
夏、暑すぎる気温と外敵によりコロニーの成長は止まります。夏季は花も少なく、ミツバチたちにとっては働けど働けど成果が出ない季節です。そんな時期には春にたくさん採れた蜜や花粉を戻してやります、そうしてコロニーへのストレスを軽減することは優しいミツバチに育てることにも一役買ってくれます。
秋、花の開花は冬越しに向けて準備をするミツバチたちを助けます。
必要な蜜量やコロニーの規模を確認し、足りない分を補う様に手を貸すことで厳しい冬を乗り切るお手伝いをします。
冬、ミツバチたちは集団で身を寄せ合って暖をとり、貯め置いた蜂蜜を食べて、春を待ちます。減っていく仲間と貯蜜量からストレスが高まり彼女たちの機嫌が悪い季節でもあります。この様な時は手を加えようとせず、そっとしておいてやるのが一番です。他の生き物たちも冬越しに向けてたらふく栄養を蓄えています、狩猟を行う季節です。山を歩き、足跡を見て獲物を判断し、猟犬と共に獲物を追い詰めます。一日がかりで獲れた獲物を仲間と分かち合います、もちろん犬たちも一緒です。狩猟で得る動物の肉が農村地域の貴重なたんぱく源であることは昔も今も変わりません。
自分の生活する地域、風土に順応した季節の営みがまた一年過ぎ、巡っていきます。
※ミツバチのコロニーはわずかなオスバチを除き、すべてメスの姉妹である。
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Q.狩猟という仕事ををひとことで言い表すと。
冬季の営みです。
狩猟に係わりのない生活を送っておられる方々にとっては、狩猟は特殊な活動と思われていると思います。しかし狩猟文化が古くから根づいた土地で生まれ育った私からすると狩猟は冬になれば行う営みの一つにすぎません。
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Q.どんな時に幸せを感じますか。
季節の移ろいを感じながらの営みに幸せを感じます。
無理をせず、無理をさせずに風土に応じた活動を続けることが地域的な文化を生み出す(守る)と考えています。どこにいても情報を得やすい今日ですが、自分の生活する地域に目を向けて適した選択ができるようになりたいです。
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Q. haru nomuraのかばんにまつわるエピソードがあれば教えてください。
長く養蜂に携わってきましたが、数年前に蜂毒に対しアナフィラキシー反応が出るようになりました。エピペンを携帯するようになり、財布、携帯、エピペンが入り普段持ち歩くにも馴染むポーチが無いかと探していたところ、haru nomuraのかばんに出会いました。
最初はごわごわして硬かったカキシブ染めのポーチは三か月ほどで柔らかくなり、今も毎日下げています。
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Q.さいごに
haru nomuraのかばんについて。私にとってはかばんは道具ですので、使い勝手が悪ければ使わなくなり買い換えます。ですがまだ当面の間はポーチ探しの必要は無さそうです!
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【Profile】
大道良太
1979年京都市生まれ。2002年京都精華大学卒業。
京都北山に生まれ育ち、伝統的な巻き狩りや地域に伝わる養蜂を教わる。狩猟歴、養蜂歴ともに14年。
大日本猟友会狩猟指導員、京都府緑の指導員などを兼任。
主な活動に、環境省主催「ビギナーのための狩猟講座」メインコメンテイター、総合地球環境学研究所「熱帯泥炭社会プロジェクト」植林地害獣捕獲アドバイザーなど。論考に『犬からみた人類史』(勉誠出版、2019年)がある。
2023.07.07
haru nomuraと人 vol.13井上亜美(アーティスト)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第13回目のゲストは、アーティストの井上亜美さんです。
井上亜美さんは、日本を代表するアーティストです。
自然や生命をまっすぐに見つめた表現は圧巻で、シドニービエンナーレへの出品など、国内外で評価されています。
私たちに流れる血の温かさを再認識させてくれるような、真摯な作品群です。
現在は京都を拠点とし、狩猟や養蜂などを実践しながら制作活動をされています。
小さな花が揺れるような、笑顔の可愛らしい方。
あみちゃんに会うたびに、嬉しくなります。
今回は井上さんに、ご自身の制作活動についてや、自然と共に歩む暮らしについてお聞きしました。
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Q.普段の活動や暮らしについて教えてください。
京都の左京区にある自宅兼アトリエを拠点にしています。スーパーやコンビニから徒歩圏内ですが、家の裏からすぐ山にアクセスできる場所で、周りにシカやイノシシ用のわなを掛けています。
山が近いので、蜜源になる柴栗や烏山椒(カラスザンショウ)などの植物が多く自生していて、家族でミツバチのお世話もしています。最近蜂蜜の販売をはじめました。自宅には猟犬6匹と鶏やメダカもいて、賑やかです。
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Q.制作のテーマについて。
例えば、セミの抜け殻を見つけて触れたとき、言葉より先にぞっとするような感覚が生まれます。そのような感覚をインスピレーションとして、対象や素材に向き合いながら作品が出来ていくことが多いです。蝶を捕まえて標本にしたら、鱗粉が手に付いて翅から光沢が消えてしまった。自分が美しいと思ったのは、蝶と鱗粉、どっちだったんだろう?とか、猟を終えて一人暮らしのアパートに帰ると、山の中では気にならなかった獣のにおいや肉の重さを強く感じる。それはなぜだろう?とか、自然と都市生活を行き来する中での体験が元になることが多いです。
アウトプットの方法は決めているわけではなく、その度ごとにインスタレーション、写真や映像、立体など、いろいろな方法を探っています。どちらかというと、カメラなどの機械を通して表現する方が、最終的にどうなるのか分からない、自然に委ねられる部分があってしっくりきています。
出身が宮城県の丸森町という所なのですが、3.11以降、原発事故の影響でイノシシが食べられなくなり、祖父がずっと続けていた狩猟をやめてしまったことで、ニュースには出てこない、実際に起こっていることを自分の体で確認したい思いが強くなったように感じます。
最近は、今まで何とも無かったのに、犬たちに鹿肉をあげるとお腹をこわすことが多くなってきました。レヴィ=ストロースが予言していたような、野生の肉も食べられなくなる世界が来るのかなと考えています。
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Q. haru nomuraとの出会い。
愛用しているharu nomuraのかばんは、トートバッグです。カメラから、お弁当箱、虫捕り網まで(笑)何でもいれちゃいます。野外活動が多いので、時には水が掛かってしまったり、植物の棘に引っ掛けたりすることもありますが、とても丈夫でタフです。特に、太い持ち手が気に入っています。
このかばんを持ち歩いている時、同じかばんを持っている知り合いに、今まで2人会いました。知り合いが、買った時のタグの紐を「捨てられないんだよね」と、そのまま残しているのを見て、私も残したままにしています。
春花さんとの出会いは、学生時代。食藝プログラムという精進料理の授業を受けていた時の先輩です。あの頃の自分は、授業の課題に追われ、食べものを流し込むように食べては平気で徹夜するような生活をしていて、健やかではなかったと思います。大学では保育士資格が取れるコースに居たのですが、元々人前で話すのが得意でなく、授業で質問するという事も、日常生活に疑問を持つ事もなかなかできなかった。そういう部分が少しずつ変わっていったのが、精進料理を学んでからかなと思います。
授業の内容は、基本の胡麻擦りから始まり、出汁の取り方、油やお野菜の選び方など。それまで知らなかった「ほんもの」に触れたことで、口に入れるものがどこから来ているのか、疑問を持つようになりました。先生が「健康な身体でなければいいものはつくれない」「自然から離れないように」ということをよく言っていて、その考えには今でも影響を受けています。料理を通して目の前の素材に夢中になっている時間が楽しく、日常生活の良いリフレッシュになっていました。
春花さんはいつも星子さんと一緒にいらっしゃって、私は二人のコンビがとても好きでした。料理中なのでそれほど長話はしませんでしたが、春花さんはいつも楽しそうで、会うだけで回復させてもらえるような不思議なパワーがありました。授業の時は、胡麻を炒った香ばしい香りとか、コトコト煮込む音、リズミカルな包丁の音、御飯が炊き上がる前のいいにおいのする蒸気で満たされていて、思い出すと幸福になれるような空間でした。卒業後も、春花さんとは一緒にジビエ料理を囲んだりする機会がありました。
そんな理由で、春花さんのことを思い出す時は、なんとなく美味しい、楽しい思い出に包まれます。
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Q.国内外での展示で見えてきたこと。
2018年にシドニービエンナーレに出品する機会をもらって、初めて海外に行きました。その時は2本の映像作品を出したのですが、セリフの多い映像作品よりも、ほとんどセリフがなく、淡々と鹿肉を料理する映像作品のほうが受け入れられた印象がありました。作品のもつ、言葉の意味に捉われない、映っている像の強さみたいなものは、海外の展示を経て気づくことができました。逆に、国内の展示だからこそだなと感じた出来事は、鑑賞してくれた人が自然にまつわる原体験をひそかに話してくれたことです。2019年に韓国で展示をした時もそうでしたが、私の作品はインスタレーションで毛皮や標本など色々な物を並べるので、検疫でアウトになるものが結構多いことも、海外の展示を経て学んだことです。
インドネシアで「宗教の関係でイノシシを食べられないけど駆除してほしい」という難しい依頼にカメラマンとして同行したときは、ちょうどラマダン(断食)の時期だったこともあり、貴重な体験ができました。ほとんど1日何も食べずに、夕方の解禁時間をスマホでチェックしながら今か今かと待って、お洒落をして食事会に行く。ラマダン明けに飲んだ甘いお茶と色とりどりのフルーツは、人生で一番おいしいものだったかもしれません。
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Q.さいごに
初めてharu nomuraのかばんを見た時は、やわらかさと原始的な力強さを兼ねている、他で見たことのないものだと思いました。どんな植物で染められているか、日付や温度も記録されていて、「このかばんがどこから来たか」に思いを馳せられます。料理をしていた時のように、目の前の素材と丁寧に向き合っている春花さんの姿が目に浮かびます。使い続けることで自分だけのかばんになり、経年の染みや汚れも勲章のように思えてくるのがふしぎです。
それ、めっちゃかっこいいかばんですね。って言ってもらえるように、私も日々精進していきたいと思います。
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【Profile】
井上亜美 Ami Inoue
1991年宮城県生まれ。2014年京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)こども芸術学科卒業。2016年東京藝術大学大学院映像研究科修了。2016年より2019年までHAPSスタジオに滞在。京都の山里のアトリエを拠点とし、狩猟や養蜂などを実践しながら制作を行う。生き物が生きる場所に入り込み、その姿や人間との関係性や距離感を捉え、写真や映像、インスタレーションなどの手法で表現する。近年の主な展覧会に個展「The Garden」(2023年、京都芸術センター)、個展「The piercing eyes」(2019年、Amado Art Space、韓国)、「第21回シドニービエンナーレ」(2018年、オーストラリア)。
【HP】
amiinoue.com
2023.06.01
haru nomuraと人 vol.12真里(User)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第12回目のゲストは、長年haru nomuraのかばんをお使いいただいている、ユーザーの真里さんです。
実店舗のないharu nomura。定期的に開催しているPOPUPや展示会が、実際に商品を手にとってご覧いただける唯一の機会です。POPUPは商品のお披露目の場でもあり、お客さまと対面してお話しできる機会でもあります。
今回インタビューをお願いした真里さんは、いつもお母様と二人で展示会にお越しいただいており、馴染みのお客様の一人です。本当に、素敵なお母様と娘さん。親子というよりも、仲良しの親友同士のようなお二人。それぞれに似合うかばんをお互いに選びあっている姿がいつも眩しく、お会いした当初からそのキラキラとした時間が印象に残っています。展示会の際には、いつも使い込んだharu nomuraのかばんで来てくださり、その変化を眺めるのが私の楽しみでもあります。
今回は真里さんに普段の暮らしや、お使いいただいているharu nomuraのかばんについてお聞きしました。
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Q.普段の暮らしについて教えてください。
京都で暮らし始めて今年で10年が過ぎました。転勤族だったので、ここまで長く同じ地で生活をしたことがなかったことに最近気が付きました。
平日は大阪で働いています。早朝にまだ人が歩いていない橋を渡りながら、鴨川と山を眺めることが日課です。早起きが苦手で毎朝慌ただしく出かけていますが、いつもそこで気持ちを一旦落ち着かせることができます。空気が澄んでいて今日は山がよく見えるな、川床の準備が始まっているな、等々。季節の移り変わりや自然の様子を真新な状態で向き合うことは、京都で暮らしてからとても増えたように思います。
休日は京都市内をあちこち散歩していることが多いです。コロナ渦で好きだった海外旅行が難しくなり、改めて身近な場所を見つめ直すようになりました。
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Q.haru nomuraのかばんとの出会いについて。
8年ほど前、野村さんが取り上げられていたTV番組を母が偶然見ており、私が好きそうだと教えてくれたことがきっかけです。穏やかなカラフルさと、ユーザーに寄り添うブランド理念にすぐに惹かれました。展示会も行ける距離だったのでその日のうちに伺いましたが、売切れだったのでオーダー注文で後日受け取る形になりました。そのときに購入したのが定番トート大です。大学通学時はこのかばん以外使用しなかったほどお気に入りでした。
私は昔から持ち物が多いうえに、荷物を分けて持ち歩くことが苦手なので、野村さんが作るかばんはぴったりでした。見た目以上の収納力で、たくさん入れてもかばんの形が柔軟に対応してくれます。今は定番トート以外のharu nomuraのかばんも色々使っていますが、野村さんが作ったかばんを使わない日がほとんどないほど生活に溶け込んでいます。
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Q.haru nomuraのかばんにまつわるエピソードがあれば教えてください。
「おこめのふくろ」は体に沿う形がお気に入りです。通勤時の電車内で座れたときはつい寝てしまいます。そんなとき「おこめのふくろ」を抱きしめて枕にしてしまうことが多々あります。パンを入れていたことを忘れてつぶしてしまったときもありますが…。
どのかばんを使うときも内側のポケットに鍵と携帯と定期券を入れています。「おこめのふくろ」にはポケットがなかったので、購入して1週間後にポケットの付け足しを野村さんにお願いしました。まだ使い込んですらいないのにこんな依頼をしてしまうのは失礼かもと正直ドキドキしたのですが、野村さんは大変快く応じてくださりました。ポケットの位置や形、縫い方、色などたくさん提案してくださり、とても満足がいくポケットが出来上がりました。野村さんの使用者に全力で寄り添ってくださるところが私は大好きです。
「おおきなかばん」は旅行の必需品です。旅先で増えた荷物を帰りに全部ひとまとめにできてすっきりします。これ以上になんでも入るかばんはありませんし、これ以上に大きなかばんを持ち歩いている人も今のところまだ見たことがありません!
また、野球観戦で写真を撮ることが好きで、望遠レンズを持って行くときがあるのですが、そのときもこのかばんを使っています。球場の座席は狭いので、荷物を取り出した後に小さくできるところが最適です。かばん自体がとても軽いので重さも負担になりません。なんといっても1枚の絵のような見た目と配色がお気に入りです。
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Q.好きなモノやコトはありますか。
地域に根差した食べ物に昔から惹かれます。日本だけではなく、世界各地のその土地特有の料理や特産物、銘菓を食べることが好きです。旅先で食べたものを自分で作って再現してみることも好きです。老舗店の包装紙や缶、箱、ラベルはついコレクションしてしまいます。旅行の楽しみのひとつはスーパーに寄ること。その土地の食卓を垣間見ることができる場所なので、どのコーナーも隈なく見てしまいます。中でも海外旅行先のスーパーは没頭のあまり3時間近くいて同行者に呆れられたこともありました。
テディベアもずっと好きで、所持しているほとんどは東ドイツ時代のものです。顔のパーツが密集気味なところが特徴的で可愛らしくて癒しです。
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Q.さいごに
かばんの耐久性が弱まることや、陽に当たって色が変わってしまったことに対してマイナスに捉えがちでした。特に私はひとつのかばんに荷物を詰め込みがちなので、「自分の使い方が良くなかった」「もったいなかった」と思うことが今まで多々ありました。しかし、野村さんの制作を通して、月日を経て変化していくことのおもしろさに気づかされました。展示会で野村さんに会う度に、かばんの色や生地の変化を見てもらうことも楽しみになっています。最近は、次に会うときまでにもっと変えて驚かしたいくらいの意気込みになってきています!
また、気軽にメンテナンスをしてくださる安心感と心強さは絶大です。自分が使いやすいように、でも大切に、どんどん自由に思い切って使っていこうと思えるようにもなりました。私のもったいない病は野村さんに解消してもらったと言っても過言ではありません。ありがとうございます!
これからも野村さんの制作活動を楽しみにしております。
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【Profile】
真里
1994年冬生まれ。
あんこはこしあん派。たい焼きは頭から食べる派。
2023.05.01
haru nomuraと人 vol.11佐貫絢郁(画家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第11回目のゲストは、画家の佐貫絢郁さんです。
国内外で活躍されている佐貫さん。
今回は、レジデンス先のタイのバンコクからのインタビューです。
彼女に出会ったのは学生時代。圧倒的な抜け感とセンス、絵への誠実な向き合い方。当時から群を抜いてカッコイイ作家でした。過去に、haru nomuraのDMのイラスト制作や、モデルとしてもご協力いただいています。人は、自分に無いものに惹かれるといいますが、私にとって佐貫さんはそんな存在。
今回は佐貫さんにご自身の制作活動についてや、レジデンス先での暮らしについてお聞きしました。
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Q.普段のご自身の制作活動やレジデンス先での暮らしについて教えてください。
ポーラ美術振興財団の在外研修生としてタイ、バンコクに2022年の7月より滞在しています。コロナの影響で採択から実際の渡航まで2年の保留期間がありました。渡航前までは、京都を拠点に制作をしていました。大学では日本画を学び、それ以降顔料や和紙を使った制作をしていたので、画材が手に入りやすい点では京都での制作は合っていたと思うし、自分の中でもしっくりきていました。
レジデンス先での生活はもちろんさまざまな変化はありますが、正直言うと、日本人居住者の比率も高いですし、不便なくほとんどのものが揃います。なので、他の国での留学に比べて以前までの生活とのギャップは少ないんじゃないかと思います。
一番の変化は朝から学校に通っていることです。10年ぶりくらいにシャープペンの芯と大学ノートの束を買いました。朝学校に通うために8時台の電車に乗ると、山手線かと思うくらいに人が多いです。Heang先生とのクラスは授業というよりも雑談で、誕生年月日から足のサイズ、好きなタイプなど全ての個人情報を知られています。私たちの笑い声が大きすぎて、隣のクラスの子に『山賊の教室』と呼ばれていることを最近知りました。
この街の中にある大きなショッピングモールや建物はどれも似通っているし、そこだけ見ていると世界中の都市が全部同じように感じますが、そういった土地でレジデンスをして作品を制作するということに意味がないかと言われると、私の場合はそうではないと感じています。当たり前ですが、地域の気候は違いますし、住んでいる人はそれに沿った生活や工夫を強いられているので、日本と似たような風景のその合間に見える特有の工夫や小さな差分を発見できることを面白く感じています。歩いてるとよくそんな場面を見かけるので毎日1万5,000歩ほど歩いて汗だくの健康体になってきました。
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Q.ご自身の制作テーマについて。
私の作品は生活によるところが大きいので、そのなかで何かを作るきっかけが見つかることが多いです。流されがちな性格なので、生活が制作にダイレクトに影響していて、私生活と制作の壁はほぼ存在しないと思っています。
ある小説家の本を学生時代に読んで、ストーリーではなくどういった方法で描くかというやり方もあるのかと衝撃を受けました。自分の仕事に関しても同様の方法を取ることは可能ではないかと思って制作をしています。
これまで書いてきた黒いドローイングのシリーズは嫌なものや人を極太のラインで描くことで見えない様にする工夫としてはじめたものです。こちらで制作しているドローイングのシリーズも、ノートを開いて勉強することに集中できないので、ポスターを作ろうと思って単語や文章を絵にしていきました。
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Q.制作する上でのモチベーションは。
反省すること
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Q.「haru nomura」というとどんなイメージが浮かびますか。
卒業制作で作っていた壺のような鞄の印象が強く残っています。
柔和に見える野村さんというキャラクタが頑固なものを作っているということに驚いたし、それが嬉しかったのを覚えています。
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Q.さいごに。
私が今滞在している場所では、野良犬や野良猫が地面に落ちているみたいに寝転がっています。そんな猫を見かけるたびに猫好きな野村さんのことを連想します。強烈な日差しのもと、日本の植物とは違った亜熱帯の植物がパワフルに成長していくのを見ていると、野村さんの草木染めも場所が変わることで、どんな変化が生まれるのか想像させられます。
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【Profile】
1993年静岡県生まれ。
2021年ポーラ美術振興財団在外研修生として昨年よりバンコクにて滞在制作。
近年の展示に『ここ5年』(People)、『a=A,』(LVDB BOOKS), 『KYOTO ARTIST’S FAIR2021』(京都文化博物館)。BANKARTのUNDER35事業に採択され7月に個展を開催予定。
【Instagram】
sanukiayaka
【HP】
sanukiayaka.com
2023.04.01
haru nomuraと人 vol.10 あべゆりこ (ワークショップコーディネーター)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第10回目のゲストは、大学時代の旧友でもあり、現在はワークショップコーディネーターとして活躍するあべゆりこさんです。
今やお馴染みとなった、haru nomuraの手書きロゴを書いてくれたのは、あべさんです。同じ教室で、彼女がさらさらと書く文字をうっとりと眺めていた私。その文字の流れるような自然な様。ブランド名をロゴにする際に、まず一番に思い浮かんだのが、あべさんの文字でした。
あべさんの作るものには、学生時代から肩の力が抜けるような独特の余白があり、近づきたくなるような人懐っこさがあります。
そのちょうどいい塩梅は、彼女の企画するワークショップで築かれる、人やモノとの関係についても同じです。
今回はあべさんに、現在の「ワークショップコーディネーター」のお仕事についてや日々の暮らし、京都で過ごした学生時代についてお聞きしました。
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Q.普段のご自身のお仕事や暮らしについて教えてください。
ワークショップを中心に、こどもたちの表現や創造的な学びの場をつくるお仕事をしています。
役割としてはワークショップの企画や開発・デザイン、広報など。
こ〜かな、あ〜かなと考えるのも、自ら手を動かすのもすきですが、でもなにより、こどもたちと会える現場がすき。
これまでは活動拠点でもある東京で、ワークショップ講師として現場でこどもたちと過ごすことも多かったのですが、現在は香川暮らしなのでオンラインでのお仕事がメイン。今この環境だからこそできることを探してみたり、日々の子育て、家族と過ごせるじかんを味わいながら、よる湯船で「しあわせぇ〜」と言ってみたり(その瞬間、娘には「しあわせぇ〜じゃないでしょ、きもちいい〜でしょ」と言われますが)、今日一日に思いを巡らせています。
職場の仲間や家族の理解、支えがあっての毎日。もうほんと、感謝です。感謝山盛りてんこ盛りです。
そんな私の、お仕事と暮らしです。
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Q.haru nomuraのロゴはどんなイメージで書かれましたか?
イメージは、野村春花。そのまんまです。笑
はるかし(と呼ばせていただいています)の人柄や雰囲気を文字に込めることができたらいいなと、ひたすら、こころおもむくままペンを走らせた記憶です。写真は一部で、他にもひらがな・カタカナ・漢字など、とにかくいろんなパターンで書いたのですが、アルファベットでスーっと流れるような書き方。
これが自分でも書いていて心地よかったのか、しっくりきたことを覚えています。
以上、ロゴ誕生秘話でした。笑
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Q.京都での学生時代の思い出。
(考える顔)・・色々蘇ってきますね。
ふたりで自転車こいでる時はるかしが、ふと「いい背中だね」と褒めてくれたこととか。笑
とにかく、京都の学生として過ごせてよかったと心底感じます。
それは、京都の左京区、芸大という環境の中で過ごせたこともそうですし、なにより、染織コースのメンバーとの出会いは大きくて。
互いに、いい距離感を分かっているし、その心地よさも知っている。それとみんな、ものづくりに対する姿勢や、個々に違ったぶれない軸みたいなものを大切に持っていたから、尊敬する気持ちも自然と芽生える。刺激し合って何かを生み出すというよりかは、包み込み合うというか、なんかそういった柔らかい表現がしっくりくるような感じです。京都のパンみたいな。笑
こどものワークショップ活動をはじめたことも、ライフワークへとつながるきっかけとなりました。ここから、こどもの表現、教育に対する興味がより深まり、障がい福祉とアートとの出会いへとつながっていきます。
巡り巡って、過去があり、未来があり、今があるのだと、そんな想いでこつこつ作ったのが、卒業制作でした。かけらひとつひとつに、思い入れがあります。
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Q.最近、一番心が動いた出来事は?
娘とホットケーキをつくったのですが、かき混ぜた生地が泡立て器から、とろ〜んとたれるようすを見て、目をまんまるに開いてきらきらさせている娘を見たときに、ハっとなって。こういう瞬間を見つけたいし、見ていたいんだなと。
表現の世界にたずさわっていて、目の前で起こる思いがけない出来事にびっくりしたり、ぐっと感動したりする瞬間がたまらなくすきだし、活動の源で、生きる原動力。すきこそものの上手なれ。上手になる必要はないけれど、どんなことにも目一杯感謝しながら、楽しい気持ちで取り組んでいたい。
人生いろいろあるけれど、目の前のことを心から楽しむ2歳児に、私の心も動いた瞬間でした。
写真は、気づいたらシルバニアの仲間たちが、ぎゅっと身を寄せ合っていたところ。これはきゅんとした。笑
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Q.さいごに
haru nomura には、愛がたっぷり。作り手の愛も、使い手の愛も。
これからも益々愛されますように。
太陽燦々、青空満点!瀬戸内パワーを送るね!
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【Profile】
あべゆりこ Yuriko Abe
1990年、香川県生まれ。
2012年、京都造形芸術大学美術工芸学科染織テキスタイルコース卒業。
障がい福祉とアート、こどもの創造・表現・教育などの分野に携わりながら、自身のワークショップ活動も行う。
現在は、すきなこと・楽しいことで満たされる時間を求めて浮遊中。子育てをしながら毎日太陽の光を浴びている。
【Instagram】
@abyriiiii.ws
2023.03.01
haru nomuraと人 vol.9緒方光介(User)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第9回目のゲストは、ユーザーの緒方光介さんです。
実は、緒方さんとは直接お会いしたことがありません。
というのも、緒方さんがOnlineで旅するかばんを購入後、Instagramでかばんをタグ付けしてくれたことで繋がりました。
私が知っているのは、九州に住んでいるということ、猫と暮らしていること、写真が好きだということ。とてもおしゃれに旅するかばんを持ってくださっていること。それくらいです。ただ、緒方さんの投稿がいつも魅力的で、もっと暮らしを知りたいなという気持ちで今回インタビューを依頼しました。
突然の依頼にきっと驚いたことでしょう。(いつかこれを読んでくださっている皆さんにもそんな鉄砲玉が飛んでくるかもしれません)
今回は緒方さんに、ご自身の日々の暮らしやharu nomuraのかばんとの出会いについてお聞きしました。
おすすめの、九州スポットも。ぜひ最後まで読んでみてください。
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Q.普段の暮らしについて教えてください。
福岡県の静かな住宅街で生活をしており、3年前に愛猫を保護して一緒に暮らしております。
写真を撮ることや服が好きなので、休みの日はカメラを持って外出することが多いです。もともとそんなアクティブに外に出る人間ではなかったのですが、服と写真に興味を抱いてからは休日の過ごし方がかなり変化しました。写真を見るのも好きなので、昨年からは好きな写真家の写真集を少しずつ集めては外出前に写真集を見て、こんな写真撮りたいなぁと思いながら外に出かけます。
外出時だけでなく家の中でも写真は撮るのですが、主に一緒に生活している猫の写真が多いです。3年前に保護してからずっと一緒にいますが、やはり日々の成長を記録に残しておきたくて。最近は写真が増えすぎたのでアルバムを作ろうと思っているのですが、選びたい写真が多すぎて困ってます。
写真や服以外にも珈琲やサウナが好きなので、外出した際はお気に入りの珈琲屋やサウナに行ったりもします。サウナは銭湯でバイトするぐらい好きで、九州の有名なサウナを巡ったりしています。
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Q.好きなモノやコトはありますか。
音楽を聴くことが好きで、最近はCDやLPで聴くことが多いです。今までサブスクで音楽を聴いてきたのですが、受動的に音楽を聴くことやながらで聴いてることに疑問を抱くようになり、音楽を聴くだけの時間を作っています。もちろんサブスクでもこれは可能ですし、サブスクにも良さはありますが、フィジカルなモノの方が”愛着”が湧きやすい。
とある音楽家の方が、愛が着地するためにはその着地場所、陸地がないといけないから、データのような質量のないモノには雲みたいに着地できないと言っていたのを思い出します。そうゆうモノにも愛着が湧くこともあるが、やっぱり質量があるモノの方が体重をしっかり預けて愛せる感じがすると。
CDをセットするのも盤を裏返すのを正直面倒くさいですが、物理的なモノの存在を感じることで、アーティストが意図した流れで音楽を聴く大切さをより鮮明に思い出させてくれる気がします。やはり好きなアーティストの作品が物体として目の前に在ることは嬉しいですしね。
聴いてる音楽のジャンルは結構バラバラで、オルタナティブロックやベットタイムミュージックも好きですし、インストルメンタルやアンビエントミュージックも聴きます。
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Q. haru nomuraのかばんとの出会い。
たまたまInstagramの投稿が目に入ったのがきっかけです。その時の投稿は守屋友樹さんが撮影された「旅するかばん」の投稿でした。
当時、卒業研究のために毎日自転車で大学に通っていたのですが、大きなリュックサックやトートバッグしか所有しておらず、コンパクトな斜めがけで、でも沢山荷物が入るバッグが欲しかったんです。そんなときにあの写真に、haru nomuraに出会いました。黄金色のススキの高原で、グリーンのキルティングを着た女性が柿渋染めのリネンのバッグを斜めがけしている写真と、素晴らしい経年変化をしたかばんに惹かれ、感銘を受けました。すぐにオンラインショップを開き、写真と同じ「墨」というカラーを購入しました。
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Q haru nomuraのかばんにまつわるエピソードがあれば、教えて下さい。
本当に使い勝手が良く、外出するときはほとんど「旅するかばん」を使用しています。財布やモバイルバッテリー、カメラ等を入れるとなると小さいかばんには入らないんですが、「旅するかばん」はこれらを入れてもまだ余裕があるので、ついつい沢山入れてしまいます。内側にもポケットがあるので、細かいモノはそこに収納しています。こんなに沢山モノを詰め込めるのに、シンプルでコンパクトなかばんなので、主張しすぎないというか。このシンプルなデザインと粗野なリネンの生地、グレーの色味によって私の服装に馴染んでくれる感じが大変気に入っております。
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Q さいごに
名前の通り「旅するかばん」なので、無性に旅に連れて行きたくなります。北海道に行った際にセカンドバッグとして連れ歩いたのですが、まるで”相棒”と一緒に旅をしてる感覚になります。モノに愛着が湧いてるからと言ってしまえばそれで解決してしまうかもしれませんが、そんな簡単には片付けられない理由があると思っています。
旅をするために必要な部分が過不足なく詰め込まれていて、日々美しく経年変化する「旅するかばん」
今後もこのかばんと色んなとこに旅をして、歳を重ねていければと思っています。
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【Profile】
緒方 光介
1999年生まれ 福岡出身
○好きな食べ物
ちまき
○好きなアーティスト
カネコアヤノ 羊文学 きのこ帝国 相対性理論 新しい学校のリーダーズ 文藝天国 君島大空 predawn yonawo TOMOO RADWIMPS CHAI SHOW-GO spiderhorse clairo Tom Misch Marc Rebillet KID FRESINO kiki vivi lily どんぐりず sweetwilliam mabanua haruka nakamura ArkaToni Taylor Deupree
○好きな写真集
・川島小鳥『(世界) ² 』
・横浪修『KUMO』
○好きな映画
『サマーフィルムにのって』
『mid90s』
○福岡で好きなお店
・hazy
1番好きなセレクトショップ。私が着用してる服はほとんどがhazyで購入したものです。
・リトルスタンド大名店
hazyのすぐ下にあるテイクアウトのお店。”バリチャイ”が有名です。チャイ好きな方は是非。
・珈琲 花坂
雑居ビルの5Fにあるお店。優しいマスターとネルドリップのコーヒー、レコードが流れる空間。秘密基地のようなお店です。
・釜喜利うどん
福岡はラーメンも有名ですが、うどんも美味いです。すだちかけうどんと雲仙ハムカツ絶品です。
・ダメヤカレー店
福岡はカレーのお店が多いのですが、私はここのほうれん草キーマが1番好きです。
・天麩羅処ひらお
福岡に来た友人にご飯屋聞かれたら絶対ここをおすすめしてます。
【Instagram】
@ogttt07
2023.02.01
haru nomura と人 vol.8守屋友樹(写真家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第8回目のゲストは、写真家の守屋友樹さんです。2014-2019まで、haru nomuraのかばんの記録やイメージ撮影を担当してくださりました。
まだharu nomuraというブランド名もない時期に、作った後に手元から離れていくかばんを記録しておきたい…とプロのカメラマンを探していました。そんな時、卒業制作の撮影で守屋さんに出会い、縋るように次の撮影を依頼しました。
はじめは、かばんの物撮りやメンテナンスの記録など、スタジオでの撮影を中心にお願いしました。徐々に、屋外で友人たちがかばんを持つ姿を映すようになりました。年に1回ほど、琵琶湖、砥峰高原、若狭など、少し遠出をして仲間たちと旅をしながら記録を残しました。かばんを持って、レンタカーを借りて、その土地のものを食べて、温泉に浸かり…。楽しい記憶しかないですね。その積み重ねが、いつしかブランドイメージとなりました。
守屋さんが写してくれたシャープなイメージ。haru nomuraの曲線的なプロダクトを引き締めてくれるそのバランスが新鮮で、ブランドイメージにより広がりを持たせてくれました。今回は守屋さんに、ご自身の日々の暮らしや制作活動についてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や暮らしについて教えてください。
京都を拠点に写真や映像などで記録する仕事をしています。同時に美術作家として写真やオブジェなどを用いたインスタレーション作品を発表しています。
仕事は、美術、建築、舞台、プロダクトなどのジャンルを横断した仕事をしています。京都や関西だけでなく、関東などの拠点から離れた場所でも依頼を受けています。さまざまな場所に行って思うのは、京都はコンパクトな都市でありながら近くに自然があるという良さを実感しています。山や川などが自転車で行ける距離にあったり、自宅の最寄りには壬生寺というお寺があったりします。そのお寺は新撰組や壬生狂言などが有名で、タイミングが合えば狂言を見に行くようにしています。自然と文化が身近にあると、仕事や制作の範囲を越えた視点を与えてくれたり、気持ちにゆとりを与えてくれます。
本を読むのが好きなので、撮影などが延期した日などは1日読書して過ごしています。コロナ前は歴史や文化表象に関わるものが多く、コロナ禍になってからは神馬さんが薦めてくれた村上春樹と川上未映子の対談本をきっかけに小説を多く読むようになりました。10代の頃、「海辺のカフカ」を読んで村上春樹の小説が苦手なままだったのですが、改めて読み返すと受け取り方は全く違うものでした。年齢を重ねたことで読むことができたのか、たまたま関心のある話だったのか。理由はいくつかあると思います。ただ嫌悪から好感に変わるといった価値の転換を体験した貴重な読書だったと思っています。小説に限らず、絵画や彫刻、映画などの芸術全般でも同じように何度でも出会い直せる機会があることや、今は苦手な作品だけど、いつか別の機会に好きになれる日が来るかもしれない。そのことを小説から教わったと思っています。僕にとってこの体験は、最近で一番嬉しいことでした。
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Q.制作テーマについて教えてください。
僕は「不在、喪失」をテーマに制作をしています。1995年に阪神淡路大震災を経験し、その時に撮っていた自宅の写真がテーマの基となるものでした。どのような写真かというと、部屋のあらゆる物が崩れ荒れてしまった様子が写っているものでした。僕は、荒れた様子を見て地震そのものが写っていないことに気がついたり、当時のことを思い出していたりしていました。目で見ていると同時に記憶を見ている。その体験が、ない(過ぎ去ってしまったものや無くなってしまったものなどの)ものに対する関心を強くしたきっかけだと思います。
被災してから25年以上経ちました。大学で学生と話をしていると東日本大震災以前の震災を知っている子がほとんどいない。学生たちが生まれてくる以前に起きたことなので知らなくて当然かもしれません。そのことを知ると同時に自分が当事者であり、語り部であることを強く意識するようになりました。ビルの大家は戦時を体験した方で、会うと戦争の話をしてくれました。90歳のご高齢で、僕に語りかけてくれる声はいつか沈黙してしまうことを予感しています。情報が常に更新される社会になって、新しいことが増え続けていく。今ばかりに囚われてしまって、過去のことは忘れられてしまうかもしれない。記録や記憶を引き継ぐことの困難さを感じずにはいられません。ないものとどう関われるかを考えていると、不在や喪失という言葉に興味を持つようになりました。
アラン・レネ監督の映画「ヒロシマ・モナムール」が好きでたまに見返しています。乱暴にあらすじをまとめると、ヒロシマが負った過去の痛みと過去に恋人を失った痛ましい記憶、痛みを通して戦争の悲劇と個人の悲劇が重なっていく物語で す。この映画から歴史的な理解を共有すると同時に、目には見えない痛みが共有されていることに深く感動しました。
失ったものを共有したり、形に置き換えることに悩んでいた時に出会えた映画でした。僕にとってとても思い入れのある映画です。痛みを通して歴史を知り、個人的な過去を思い出す。いつか僕もそういう作品が作れるといいな。
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Q.haru nomura2014-2019の5年間の撮影を振り返って。
野村さんとはじめて出会ったのは、彼女の卒業制作の作品撮影の時でした。当時、僕は大学で働きながらフリーランスの仕事をしていた頃だったと思います。撮影中、パートナーから僕の話を聞いていると唐突に話かけてくれました。とても驚いていたことを覚えています。それから、時々かばんの記録をお願いされるようになりました。はじめは、かばんの記録を中心に物撮りとしてスタジオで撮影したり、展覧会の記録なども撮ったりしていました。ブランドのイメージに関わるようになったのが、2015年に発行された「haru nomura issue #1」を作る時だったと思います。
haru nomuraのかばんは、持つ人によって色の褪せ方や痛み方が全く違う。それは、かばんと過ごす時間や積み重ねていく記憶そのものだと言えます。誰かと過ごす時間や、1人で過ごす時間、いろいろな時間をかばんと共に過ごしている様子として写真に残せるといいなと思いながら関わっていました。
「haru nomura issue #1」では後輩の成瀬さんにモデルをお願いし、野村さんのご自宅にお邪魔して撮影しました。リビングや共用廊下、屋外に出てたりして撮りました。撮影から戻る途中、成瀬さんと野村さんの後ろ姿が冬の光に当てられた景色が穏やかで美しかった。その時に撮った写真は、少しピントが外れていますが個人的に気に入ってます。この写真をもとに吉田くんがイラストを描いてくれたのがとても嬉しかったです。
京都市内だけではなく、琵琶湖、砥峰高原、若狭など市内から少し遠い場所まで遊びに行くように撮影をしました。haru nomuraの記憶を積み重ねつつ、友人(かばんを持つ姿)を見つめるように記録した5年間だったと思います。
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Q.印象に残っている1枚があれば教えてください。
砥峰高原での写真がとても印象に残っています。蒲原さん、佐貫さん、吉田くんをモデルに道中撮影したり美味しい昼食を食べたりしながら向かいました。高原はとても寒かったけど、日の光によって淡くなったり濃くなったり変化に富むススキ、深い緑の木、透き通った小さな池があったり、寒さを忘れるくらい自然の豊かさに包まれたことを覚えています。帰り際に雪が降り始めて、さまざまな色が淡く濃くまだらに変化していく光景が忘れられません。
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Q.さいごに
一昨年、去年の春に長野県内にある美術館で撮影の仕事をしていました。仕事の合間だったり、休み時間を利用して志賀山まで登山をしに行ったり、千曲川を散策したりしていました。どこも野村さんの地元から少し離れた場所でしたが、「こういう風景を見て過ごしていたのかな」と想像しつつ山や川、街並みを見ていました。僕にとって縁遠い風景が、身近に感じられるだけで心細さが少しだけ和らぎました。誰かを思い出せる場所があることは、とても大切で幸せなことだと思った。
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【Profile】
守屋友樹 Yuki Moriya
美術家/写真家。
1987年北海道生まれ。かつてあった景色や物、出来事などを想像する手立てとして「不在、喪失」をテーマに制作している。
・Instagram
@moritotani
2023.01.10
haru nomura と人 vol.7神馬啓佑(画家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第7回目のゲストは、画家の神馬啓佑さんです。
haru nomuraで、2度のモデルを引き受けてくれた神馬さん。
1度目の撮影は、夏の琵琶湖。日帰り電車で滋賀へ。自由気ままに、旅するかばんで旅をしました。ブランドの世界観を作り出す面白さを知ったのは、あの夏の日からかもしれません。2度目の撮影は、秋の宝ヶ池。ユーザーの存在を意識して、ブランドの細部を考え始めたのはこの時期でした。スタイリングやヘアメイク、かばんとの生活をイメージさせるビジュアルを目指しました。
思い返せば、ブランドが変化する節目に神馬さんにモデルをお願いしています。神馬さんの存在が、安心して私たちをクリエイティブにさせてくれます。
そんな神馬さんの本業は、画家です。
モデルとしての佇まいはもちろん、作品や文章もしみじみ良い。
それは、昨日今日でつくられるインスタントな良さではなくて。
画家として生きる毎日を積み重ねて生まれる、奥行きのある良さ。
皆さんに、ぜひ知ってほしい人物です。
今回は神馬さんに、ご自身の日々の暮らしや制作活動についてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の制作活動や暮らしについて教えてください。
2021年に約10年ほど、住んでいた共同アトリエを解散して、丹波橋という京都市伏見区の方に住居兼アトリエを構えました。1階は、いろんな作業が出来るようにコンクリートの土間になっていて、2階が住居です。前はだいたい5人くらいでシェアしていたもので賑やかな日々を暮らしていたのですが、今は一人で静かです。
普段は、書店で働きながら、ちょくちょく絵を描いています。書店は、朝から夕方まで。駅が近いので電車で通勤してます。だいたい15分ぐらいの電車の中で、文庫本を読んだりしているのですが、時間が短くて全然読み終われません。電車通勤というのがはじめてなので、時間をうまくつかえるといいのだけどなかなかうまくはいきません。でもちょっとした習慣ができて気分はいいです。
働いている本屋は、芸術書も多くて比較的興味のある本が並んでいるから、いつもチェックしていて飽きることがありません。でも、いつも考え込んでしまって、仕事になっていない。それはいいことではありませんよね。怒られてばっかりです。
でもまぁ、そんな感じで考え込んでると自然と手が動いてしまって、書類などの紙類にちょこっと絵を描いてしまうことがあります。これを後で見るとまぁまぁ悪くない。絵になる前の絵とでもいうのでしょうか。(この絵は嶋田くんが詳しい。)ある意味で絵を描くことが生活に浸透している、もしくはしすぎているのかもしれません。
最近、それがずいぶん認知されてきたのか、いや、前々からずっとバレていたのだろうけど、同僚の子が僕のメモ書きをグラフィックにして、スウェットを作り始めました。ありがたいという気持ちとサボりぐせが公になる感覚が混じって複雑な心境です。
絵を描くことをずっと続けているうちに、「自分は画家だ」と強く言える日がいつか来るのではないかと思っていたのだけれど、最近は、ため息をつくように画家だと言うことが、滲み出ていて自分でもどうかと思います。
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Q.どんな作品を作っていますか?
だいたい絵を描く仕事をしています。最近、haru nomura の1回目の撮影で撮ってくれた守屋くんに誘ってもらって、文章を寄稿しました。文章の仕事は、とても新鮮で面白かったです。
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Q.制作のテーマについて教えてください。
僕は、絵を描くことがもうずいぶんも昔から行われていて、それが今の今まで続いていることにいつも感動を覚えます。そして、何より自分自身が毎日のように考え、悩みつづけていることが、その証明になってしまっていることに気づいたとき、自分が絵を描くこともとても大事なことなんだと気づくことができました。だから、もうしばらく絵を描かせてほしいと願っています。テーマという感じとは違うかもしれませんが、これまでのこと(歴史)といまの自分が重なりあった部分がとても重要な状態だと考えています。
例えば、パンは手でちぎるものだと今もマナーなどで決まっているらしいのですが、それは、イエスが最後の晩餐で、手でちぎってパンを使徒に分け与えたことことが由来になっていて、今現在もキリスト教徒への配慮の意味合いで世界中がそうしています。そういう慣習は、イエスが描かれた絵画が今も見ることができることに関係しているはずですよね。
僕は、絵が今も昔と同じように見ることができて、考えられていることについて、考えたいし、僕の視点でその絵を描きたいと思うんです。
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Q. haru nomuraのイメージ撮影に2度ほどご協力いただいていますが、何か印象に残っていることはありますか?
1度目は、琵琶湖に行って、2度目は宝ヶ池に行きました。1回目は、撮影は守屋くんで前々から知っていたので、リラックスしていたと思います。夏の琵琶湖って賑やかなんだと知りました。車に積んだ大きなスピーカーから爆音で流れる音楽と上半身裸の大学生たち。見慣れた景色といえばそうなのかもしれませんが、正直面食らいました。でも、喧騒から逃れるように湖沿いを歩いたことは、郷愁に浸るような気分になって逆によかったです。あと、湖畔でお昼にカレーかなんかを食べて、気分よかった記憶があります。
2度目の宝ヶ池は、一人じゃなくて星子さんと一緒で、結構大所帯で、服も借りてずいぶん「撮影」という印象でした。なので少し緊張した気がします。撮影が終わって、カメラマンの堀井さんがトイレの鏡で日の光が屈折して虹色になっているのを見つけて、鏡の前でポートレイトを撮影してくれました。フィルムカメラで撮った写真を後でいただきましたが、奇跡の一枚ってTVとかで見たり聞いたことあると思いますが、その写真はそれです。
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Q.さいごに
前に、ブリティッシュカーキの話を野村さんとしたことがあります。イギリス軍のトレンチコートや軍服は、「ミロバラン」というクルミのように硬い殻から実をとってカーキに染めていたそうです。「堅い殻で実(身)を守る」ということで、この実で染めれば死なないと言われていたようです。
僕はこの話が好きで、天然染料で染めたものには、そういう精霊に身を守ってもらっているという逸話が世界中にあるんだそうです。野村さんの鞄にもそういう「霊性」があるように感じてしまうのは僕だけではないはずです。
また素敵な鞄を楽しみにしています。
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【Profile】
神馬啓佑 Jinba Keisuke
1985年愛知県生まれ。2011年京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術表現専攻修了。京都在住。主に絵画表現をベースに活動。絵画を通して「形にすること」が、私たち自身の新たな気づきを誘発し、それとともに「新たな内面」の可能性を模索する糸口になればと考えている。
【Instagram】
@jinbakeisuke
2022.12.01
haru nomura と人 vol.6勢野五月葉・野田耕平(User)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第6回目のゲストは、日本画家の勢野五月葉さん・画家の野田耕平さんの作家夫婦です。並んで歩いている後ろ姿を眺めているだけで幸せな気持ちになる…そんな素敵なご夫婦で、お二人のたおやかな空気感や暮らし方が一つの作品のよう。
ちょうど一年前、妊娠・出産のタイミングでフレコンバッグをお求めいただきました。人生の節目にかばんを選んで下さったことが印象的で、新しい家族が増えたその後の暮らしや、かばんの様子が気になっていました。
今回はお二人に、制作活動について、家族での暮らしについてのインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、京都での暮らしや家族について教えてください。
勢野:大学で日本画を専攻していました。その時学んだ「写生」という過程を大切に、絵画作品を制作しています。具体的に説明すると、植物や石などをモチーフに岩絵の具を用いて描いています。日常とか、なんの変哲もないような風景の中から、どこかきらりと光る瞬間に巡りあえたらと思い描いています。また出産した直後に児童書の挿絵のお仕事をしました。娘がハイハイする前だったので、隣で面倒を見ながら描いていました。大変でしたがよい思い出です。
野田:絵を描いています。数年に一度の個展と、毎夏軽井沢で陶芸家の姉との二人展で作品を発表しています。毎日の生活の中、キャンパスに向かえる時間は制作しています。季節や聴いている音楽、出会った人、読んだ本など、自分がいいなと感じたものを自分なりの表現でキャンパスに表せたらなと思っています。実家が大原で、今は西陣に住んでいます。月に数回、手伝いがてら大原に帰って、合間に森や裏山の谷沿いを散策しています。ちょっとでも山の空気を感じたいなぁと、西陣の家の坪庭に、山で拾った石を置いたり、植物を植えたりして遊んでいます。
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Q. haru nomuraのかばんとの出会い。
勢野:野村さんが先生をしていた大学の職員をしていたことがあり、それがきっかけです。一緒に働いていた渡邉星子さんがharu nomuraの鞄をいつも使っていて「丈夫そうで、使いやすそうで、物がいっぱいはいりそう」と思っていました。
野田:妻がママバックに使いたい、欲しい鞄があるよ、とフレコンバックを教えてくれました。ちょうど恵文社で展示されてる時に見に行き丁寧に説明していただいて、僕も良いなと思いました。
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Q. haru nomuraのかばんにまつわるエピソードがあれば、教えて下さい。
勢野:赤ちゃんと自分の荷物を入れるのにフレコンバッグを使っています。オムツや哺乳瓶、母子手帳などポケットを活用して使っています。沢山入るので、出先で買い物した時も野菜とかいろいろ入るので助かっています。まだ使いだして1年程度なので、どんな風に鞄が変化していくかも楽しみに使っています。
野田:家族で出かけるとき、妻が赤ちゃんを抱っこしてくれてるときは僕が鞄を持ちます。妻がたくさんのポケットを上手く使いこなしてくれているので、パスされた僕もとても使いやすいです。3年前に亡くなった染織作家の叔母の遺品整理を野村さんに手伝っていただきました。その時アトリエから出てきたエプロンをフレコンバックと一緒に染めて、サプライズでいただきました。何てことのない無地のエプロンだったのですが、染めていただいたことでとても力強く、雰囲気のある一点物になりました。
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Q.来年はどんな一年にしたいですか。
勢野:ちいさな娘と一緒にいろんな経験が増えることが楽しみです。あと本を読んだり、ゆっくりものを考える時間を確保するのが目標です。
野田:来年というかずっとですが、作品と共に自分も成長していきたいです。あと自動車の運転免許を取りたいとか、家で揚げ物に挑戦してみたいなぁとか、そんな感じです。
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Q.さいごに
勢野:赤ちゃんを授かって、授かった後の生活、特におでかけについて考えたとき、野村さんの作った鞄を持ちたいなあと思いつきました。
私の使ってるフレコンバック(L)は今まで使ってきた日常使いの鞄と比べるとかなり大きくはあるのですが、日々のいろんな「もしも」に対応できる心強い鞄です。大きな鞄から「もしも」の為に準備していたいろんな物を取り出す自分の姿を考えると、なかなか心強いです。
娘が自分の荷物を自分で持つようになる頃、軽く柔らかく育った鞄に写生道具や本を持って出かけるのも楽しみのひとつにとっています。
野田:フレコンバックは家族の日常にすっと入ってきてくれました。これからも相棒として、一緒に過ごしていくんだろうなぁと思っています。
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【Profile】
勢野 五月葉 SENO Itsuha
京都市立芸術大学大学院日本画修了
主な展示、第一回 続(しょく) 「京都 日本画新展」優秀賞(2014年/美術館「えき」KYOTO)、「ARTIST WORKSHOP@KCUA by Ellen Altfest/The Hundred Steps」(2015年/ 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)、「石をのせた船」(2019年/ 堀川御池ギャラリー)
児童書「ざぶんざぶ~ん」(幻冬舎メディアコンサルティング)の挿し絵を担当
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野田 耕平 NODA Kohei
京都市左京区大原生まれ
京都京都教育大学美術科教育書道科卒業
在学中から絵を描き始める
過去の個展、2009年「静かな波動」、2011年「織りなす想い」、2014年「旋律がなる」、2021年「たどりの余韻」(全てルーサイトギャラリー/ 東京 )
2012年から毎夏「野田直子・耕平 姉弟展」(ルーサイトギャラリー 追分店/ 長野 )
2022.11.01
haru nomura と人 vol.5小林加代子(ウェブデザイナー)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第5回目のゲストは、ウェブデザイナーの小林加代子さんです。
実店舗のないharu nomuraにとって、ウェブサイトはお客様と繋がる重要なツールです。ウェブデザイナーの小林加代子さんとの出会いが、haru nomuraの活動を外へと広げてくれました。クリックやスクロールする度に、発見がある活きたウェブサイト。朗らかな加代子さんの人柄に安心して身を委ねながら、広く世界に開かれたその地を一緒に耕してきました。過去や現在の活動を伝える役割としてはもちろん、次にどんな種を蒔くのかな?と、見る人にブランドの未来を予感させる地でもあります。
今回は小林さんに、ウェブデザインという仕事や京都での暮らし、haru nomuraのウェブサイトの見所についてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、京都での暮らしについて教えてください。
2019年よりStudio Kentaro Nakamuraに所属し、vol.4でご紹介いただいたパートナーの仲村と一緒に働き始めました。スタジオ内では主にウェブサイト制作全般を担当していますが、メンバーそれぞれの専門性によるおおまかな棲み分けはありつつも、領域の垣根なく全員でアイデアを出し合ったり、ディスカッションしながらプロジェクトに取り組んでいます。
もともとは大阪で広告系のウェブ制作会社に勤めていましたが、スタジオへの所属をきっかけに京都に引っ越してきました。京都は文化芸術が近く、アーティストの多い街だと思います。そんな土壌も手伝って、最近は仕事の方向性が大きく変わってきたように感じています。また、野村さんをはじめ、ものづくりを生業とする方が周りに増えました。みなさんから刺激を受けながら、毎日を楽しく過ごしています。
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Q.ウェブデザインに関わるきっかけ。
小学生の頃から、遊びの延長で自分のウェブサイトを作っていました。BBSなどで交流が生まれ、全く違う地域に住む友達ができたりしていましたね。今では当たり前になりましたが、当時はインターネットを通して遠くの人とコミュニケーションを取れることが、ただただ楽しかったです。
その後、興味の対象が「本」に移り、大学ではエディトリアルデザインを学び……と紆余曲折ありましたが、いろいろな巡り合わせがあって、就職をきっかけにWebデザイナーになりました。就職した会社は分業制ではなかったので、デザインだけでなくコーディングや公開後の運用など、Webサイト制作の幅広い経験を積むことができました。今では、前職での経験を活かしつつ、自分と仲村のベースであるエディトリアルデザイン的な考え方とミックスさせながら制作を続けています。
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Q.haru nomuraのHPの見所は?
haru nomuraのかばんの魅力は、染めによる色の揺らぎと、かばんの形の実験性が同居しているところだと思います。その魅力をウェブサイト上でどのように伝えるか、野村さんや仲村と話し合いを重ねながら考えていきました。特に「Bags & Products」では、イラストから作品写真、テキストへの流れを味わっていただけたら嬉しいです。
もうひとつは、野村さんの染めの実験場である「Iro-Nikki」。野村さんのまなざしによって日常の中に発見された色たちが、動画と言葉で綴られています。ちなみに、色日記のコーナーには、春夏秋冬の季節ごとに背景色が変わるという隠し要素もあったりします。僅かな差ですが、ぜひ何度もページに訪れてみてください。
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Q.haru nomuraのかばんでお気に入りがあれば、教えて下さい。
フレコンバッグです。野村さんにはじめて試作を見せてもらった時、工事現場などで使われる袋と草木染めかばんの組み合わせに、びっくりしたのを覚えています。
実用面でも、重い荷物が軽く感じられたり、内側のポケットで小さい荷物を整理できたり。ベルトに長物や上着を差し込んで運んだりすることもあります。夫婦でシェアして使っていますが、オンオフ問わず荷物が多い私達にとって、頼れる存在のかばんです。
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Q.さいごに
Lサイズのフレコンバッグを愛用していましたが、先日、Sサイズも追加オーダーしました。最初は墨色が欲しいと思っていたのですが、恵文社さん別注カラーの灰緑に。濃い色は、いつか染め直しのメンテナンスをお願いする時の楽しみにとっておこうと思っています。自分と一緒にかばんを育てていくような感覚で、haru nomuraのかばんを持ち始めてから、歳を重ねるのが楽しみになりました。
haru nomuraにはメンテナンスの取り組みがありますが、自分の領域であるウェブサイト制作にもメンテナンスの考え方があります。公開して終わりではなく、状況に応じて手を加えていくことで、その時々にあった形にしたり、少し先の未来を想像したりする。haru nomuraのウェブサイトも、ブランドの成長と並走しながら、その変化を伝える場にしていけたらと思います。
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【Profile】
小林 加代子 Kayoko Kobayashi
1990年兵庫県生まれ。京都府在住。神戸芸術工科大学ビジュアルデザイン学科卒業。ウェブ制作会社勤務を経て、2019年よりStudio Kentaro Nakamuraに所属。主にウェブサイト制作を担当。
【Instagram】
@kbyskyk
2022.10.01
haru nomura と人 vol.4仲村健太郎(グラフィックデザイナー)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第4回目のゲストは、グラフィックデザイナーの仲村健太郎さんです。
haru nomuraにとって一番の幸運は、仲村さんに出会えたことです。DMに始まり、冊子にポスター、ブランドタグ、ウェブサイト、ブランドイメージに至るまで、ブランドに関わる多くのモノを仲村さんと一緒に作ってきました。仲村さんのデザインは、すいかに塩をひとつまみかけるように、絶妙なバランスでブランドの魅力を引き出してくれます。蛇行しながら進んでいく道のりを、迷わぬように(時々思わぬ方向に)並走してくれている存在です。
今回は仲村さんに、ご自身の活動やデザインのヒント、そしてharu nomuraとのこれまでの歩みについてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、Studio Kentaro Nakamuraについて教えてください。
京都を拠点にデザインのスタジオを運営しています。スタジオでは京阪神の文化芸術や教育を中心にしたプロジェクトに取り組んでいます。活動の領域は、グラフィックデザイン・ブックデザイン・ウェブデザインなどですね。大学を卒業してすぐにフリーランスになって、ずっと自宅兼スタジオだったんですが、去年の夏に二条の駅前にスタジオを設けました。また、今年の春には新しく2人のスタッフが入ってくれて、今は全員で4人のとても小規模なデザインスタジオを運営しています。
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Q.haru nomuraとの出会いについて。
2014年、野村さんと私の共通の友達だった日本画家/イラストレーターの鬼頭祈さんが紹介してくれたのがきっかけです。野村さんは修士の大学院生、私は学部を出てそのままフリーランスのデザイナーだったので、同級生で制作をしている友達のデザインに関わることができ、とても嬉しかったのを覚えています。たしか、最初は恵文社での展示のDMのデザインでしたね!
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Q.仲村さんの、デザインのヒントはどこにありますか。
イームズが残した言葉に、「妥協を強いられたことはありませんが、制約はいつも喜んで受け入れてきました」という言葉があります。私の好きな言葉であり、大きな行動指針の一つです。
でも、妥協と制約の違いは何?って、よく考えてみると答えるのが難しい質問ですよね。「制約」を辞書で引くと、「1—制限や条件をつけて,自由に活動させないこと」「2—物事の成立に必要な条件や規定」と出てきます。1つめの意味に沿っていけば、不自由そうで、なんだか妥協してしまいそうです。でも、2つめの意味にあるような「物事の成立に必要な条件や規定」を見つけるのは、なんだか楽しそうです。だって、あるプロジェクトに必要な条件や規定が、初めて出会うものであればあるほど、そこで成立する物事も新しいものにできそうじゃないですか? だから、すべてのプロジェクトの始まりにはそのプロジェクトの「成立に必要な条件や規定」を、できるだけ早く、そしてできるだけたくさん見つけることを心がけています。それがデザインに取り組むうえでの大きなヒントになります。取り組むのはすべて違うプロジェクトなので、ヒントにするものが隠れている場所もそれぞれ違う、ということです。
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Q.haru nomuraの10年を振り返って。そしてこれから。
haru nomuraの10年のほとんどの期間を、まるっと隣で並走していることに、この文章を書いていて改めて気づき、驚きました。わたしも10年前に自分ひとりではじめたスタジオに、少しずつ協働する人が増えていきました。haru nomuraとのデザインも、最初はDMのデザインからはじまり、冊子をつくったり、写真撮影の際のスタイリング、そして今みなさんが読んでくださっているこのウェブサイトのデザイン…と、自分たちのチームのスキルアップと同じ歩みで、haru nomuraのブランドやその魅力をいろいろな方法でお客様に届けるお手伝いができています。10年前に、10年後こんなにいろいろな関わりができているだなんて想像もしていなかったです。
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Q.さいごに
10年間を振り返ってみると、「5年後、10年後はこうしよう」というふうに計画があって、取り組んできたわけではなかったですね。haru nomuraも野村さんという1人の作家から生まれたアイデアや手仕事から生まれたものが積み重なっています。つまり、1人の人が、そのとき本当に面白いと思ったアイデアがプロダクトになっているので、直線的ではなくナイル川のように蛇行して(©安住紳一郎の日曜天国)、ブランドが形作られています。個人的には、その時々で新しく使われる色やかばんの形によって、その蛇行の「予感」を感じさせてくれるところが、haru nomuraの好きなところです。グラフィックデザインでは、モノの魅力を伝えるだけではなく、ブランドの姿勢も伝えるとき、そうした蛇行の細かな機微を、整理整頓しながら伝えたいです。ただそのためには、ブランドの「今」だけにフォーカスせず、少しだけ先の方向性を予感とともにグラフィックデザインで伝えることが大事なのだと思っています。
モノへの魅力は、かばんそのものを使う時間や体験からも生まれることがほとんどだと思いますが、一方で写真やテキストといった物語性のある情報がモノへの親しみを生んでくれることもしばしばあります。これからも、蛇行を楽しみながら、よりかばんへの愛着が膨らむような物語づくりを協働していけたら、こんなに嬉しいことはありません。
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【Profile】
1990年福井県生まれ。2013年に京都造形芸術大学情報デザイン学科を卒業後、京都にてフリーランス。大学ではタイポグラフィを専攻。京阪神の芸術・文化施設の広報物や書籍のデザインを中心に取り組む。タイポグラフィや本のつくりを通して内容を隠喩し、読む人と見る人に内容の新しい解釈が生み出されることを目指している。
【Instagram】
@nakamulak
【HP】
nakamurakentaro.com
2022.09.01
haru nomura と人 vol.3渡邉 星子(User)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第3回目のゲストは、haru nomuraの初めてのお客様であり、自慢の友人の渡邉 星子さんです。
福島県田村市、緑豊かな山間にひっそりと「蓮笑庵(れんしょうあん)」はあります。蓮笑庵は画家であった星子さんの父・渡辺俊明氏が築いたアトリエで、桃源郷という言葉そのもののような、美の灯る場所です。星子さんの美しい佇まいや仕草、ものごとへの眼差しは、福島のルーツの中にも見えてきます。
今回は星子さんに、日々の暮らしや蓮笑庵についてのインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、暮らしについて教えてください。
福島県にある、山あいの小さな村に暮らしています。
少し前までは野村さんと同じ京都に住んでいて(家もご近所)母校の大学で働いたのちに故郷の福島へと帰郷しました。
亡くなった父が画家だったのですが、アトリエにはたくさんの作品が残っていて。その仕事ぶりや当時の様子が今でも色濃く残っています。そこで家族と一緒に、父の作品を扱う絵画工房として、また、作家の軌跡をたどる為の場所としてアトリエ運営を続けています。
普段の活動としては作品の管理や展示、保存の為の作業。それからアトリエや庭の維持管理が主な仕事でしょうか?大抵は泥んこで、庭の手入れに追われています。
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Q.蓮笑庵のお気に入りの場所と、お父様の作品で好きな一枚を教えてください。
アトリエの一室、和室前の廊下にあるベンチ。
その端っこに座って、部屋を挟んで見える庭を眺めるのが好きです。山際に建つアトリエは中に入るとしんと暗く、自分のほか人の気配もない中じっとしていると鳥や、虫や、雨風の音だけが大きく聞こえてきます。ぼんやり座って向こう側を眺めているとどこか違う世界にいるようです。
「好きな作品」は改めて聞かれると難しいのですが、最近見つけたものがあって。
人形の素描、薄づきの絵の具でさらさらと描かれた絵の隣に、その人形がやって来た当時のことが詩のように書き留められている一枚。それがなんだか可愛くて、最近のお気に入りになりました。 紙とペンをいつも側に置いて、気がつくとじっと何かを見つめて筆を走らせていた父。そんな日常の中で描かれた作品になる前の絵やメモ書きがたくさんあって。それはそのまま、彼の生き方や思想、描くことへの信念や対象への眼差し、価値観や死生観… あらゆるものが記憶されたメモリーとして残りました。 それを一つ一つ拾いながら、画家としての父を改めて想っています。
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Q.京都での思い出について。
故郷の他に一番長く住んだ土地で、野村さんと出会った場所。夜の散歩では同じ道を何度も行ったり来たりした後、お互いの家の真ん中くらいで別れる… というのが私達のいつも。
そんな京都に暮らす中で、自分の人生として何かをつくり続ける人たちにたくさん出会いました。
haru nomuraとして物づくりを続ける野村さんはもちろん、画家や、写真家や、染織家、デザイナー … 誠実さと、情熱と責任をもって自身の作品を生み出す彼らは憧れであり、尊敬する生き方の一つです。
私自身は作品をつくったり発表したりはしていませんが、そんな作家たちと近しい場所で過ごすことができてとてもうれしかった。
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Q.haru nomuraのかばんでお気に入りがあれば、教えて下さい。
特別なかばんは茜で染められた斜めがけのショルダーバッグ。野村さんが学生時代につくったもので、自身のブランドとして初めて発表されたかばんです。大学生の時に購入して以来、メンテナンスをお願いしながら気が付けば10年以上。きっと、ずっと同じように使い続けるんだと思います。 それから、お気に入りは藍色の巾着。大きすぎず、小さすぎず、その収納力に甘えてつい考えなしに何でも入れてしまうのですが。手を入れて探るとその時必要なものにちゃんとたどりつく、なんだか四次元ポケットの様な袋です。
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Q.さいごに
自分の目と、手と、心の行き届く分だけの物を持ちたいと思っています。
手にとった時、それを使っている自分が無理なく想像できるもの。
自身の身近に置いて心地のよいもの。
ただ持っているだけでうれしいもの。
そんな感覚をものさしにして手にとった物の中で、haru nomuraのかばんはとても自然に、あたりまえに、生活の中に溶け込んでいる様に思います。
握りしめて擦り切れた持ち手や、いつの間にかついたインクのしみ。柔らかく馴染んだ生地と、飴色に変化した木のボタン。ほつれて繕われた四隅はさらに丈夫に。染め重ねる毎に深くなる植物の色 …
父にとっての絵がそうだったように、わたしの大切な日常はharu nomura のかばんに記憶されているのかもしれません。
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【Profile】
渡邉 星子 Hoshiko Watanabe
福島県生まれ。京都造形芸術大学 染織テキスタイルコース卒業。倉敷本染手織研究所60期卒業。京都造形芸術大学 美術工芸学科研究室勤務、同大学 染織テキスタイルコース 非常勤講師を経て、(有)蓮笑庵 The atelier of Syunmei Watanabe へ勤務。
・蓮笑庵 The atelier of Syunmei Watanabe
【 Instagram 】@renshoan
【 HP 】 renshoan.jp
2022.08.01
haru nomura と人 vol.2堀井ヒロツグ (写真家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第2回目のゲストは、写真家の堀井ヒロツグさんです。
初めてお会いした時の印象は、葦のような強さとしなやかさを持つ人。憂いを含んだ眼差しで、フィルターを覗く堀井さん。目に見えない感情や流れる空気、被写体の皮膚の温度まで視覚化してくれる写真家です。京都を拠点に、ご自身の作品制作に加え、大学講師として未来の写真家を育成されています。
今回は堀井さんに、ご自身の写真についての眼差しや、haru nomuraの写真撮影の裏側についてインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、暮らしについて教えてください。
普段は京都芸術大学にある写真映像コースというところで講師をしています。それと平行して、継続的に写真作品を制作して発表したり、写真撮影・動画撮影の仕事をしています。
よく、普段はどういった写真を撮っているのですかと聞かれるのですが、基本的には、身体をまとった存在としての私たちに関心があります。たとえばそれは身体や心や魂といったようにいくつ ものレイヤーに分けて見ることもできるし、逆にもっと即物的な見方もできる。皮膚を境界線として設定していることに基づいた固定的な目線のありかたをどのように更新していけるかなとか、そのようなことをいつも考えています。
慣れ親しんだつもりでいるけれど、この世界は不思議さに満ちている。写真のように「見る」という経験にとどまることで見えてくるものがあって、時間をスライスするように瞬間的に見るのではなく、眼差しが幅を持つことを大事にしています。
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Q.haru nomuraの撮影の際、どんなことを意識していますか。
haru nomuraの撮影では、撮影までの段取りをすごく大切にしている印象があって、例えばかばんの解釈やイメージの奥行きについて何度も言葉を重ねながらチームで視点を起こしていくんですね。そういった土台を共有した上でモデルさんのスタイリングなどを支える背後の体勢がしっかりしているから、安心して現場で遊べるんです。
遊ぶと言っても奔放にするということではなくて、支えを万全にした上で、撮影空間に隙を招き 入れるようなことを意識しています。こちらのコントロールをほんの少し手放すというか、勝手に遊びが起こるようなことを受け入れていくというか。そういった自然な渦や流れの中に、本当に近いことが宿るような気がしていて、フィクションの場にふっと訪れるリアリティーを大事にしています。
あとは撮影の最中などにモデルさんにかばんの心地について尋ねるようにしていて、だいたい共通して「肌に馴染む」というような答えが返ってくるのが面白いんですが、長時間撮影しているとそういった皮膚感覚が一緒に写ってくると感じています。みんな最後はかばんがそのひとのかたちに沿った体の一部のようになってくる。
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Q.これまでのharu nomuraの撮影で、印象的な一枚があれば教えてください。
ひとつめはモデルのしんぺいくんのしなやかな魂と鹿のまなざしが交わったテレパシックなひととき。ふたつめは同じくしんぺいくんが木の棒を拾って遊びはじめたとき。どちらも、物言わぬ感覚が前景化するような瞬間で、そこから個がひらいて世界の神経とつながるようなところがある。そのユーフォリックな光景に写真を通じてふたたび立ち会えることは素晴らしいし、見ているひとの胸にも共鳴が起こるといいなと思います。
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Q.haru nomuraのかばんでお気に入りがあれば、教えて下さい。
旅するかばんです。カンガルーのポケットのように、自分の皮膚がなめらかに拡張したような心地があるのと、見かけによらない収納力の深さが頼もしいです。ひるがえって、この鞄に入らない物量は持ち歩きたくない!という謎の意識が生まれます。
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Q.さいごに
これまでに三度撮影をさせて頂いているのですが、その中でもフレコンバッグの撮影は暗室で印画紙にプリントしているので、特に思い入れがあります。とても手間がかかるけど、そのやり方でなければ生まれない写真の美しさがあるんです。 写真は、出力の方法によってイメージの質感が変わってしまうことは意外と知られていないと思います。遠くから見たら見分けがつかないけど、近くで見ると全然違うなって。視覚の触覚に訴えかけるような、絵画で言うところのマチエールにも似ているのですが、その細部にこだわる感覚は芸大で学びながら制作を続けてきたharu nomuraの眼差しとも交差する予感がしています。
また、それ以降も毎回フィルムで撮影しているのですが、現像液、定着液を経て水の中から生まれる写真のプロセスが染めの工程にも似ていて、なんだか遠い親戚のように感じています。
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【Profile】
堀井ヒロツグ 静岡県出身、京都府在住。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。2013年に東川国際写真祭ポー トフォリオオーディションでグランプリ、2021年にIMA nextでショートリスト(J・ポール・ゲ ティ美術館キュレーター:アマンダ・マドックス選 )を受賞など。
【Instagram】
@hirotsuguhorii
【HP】
hirotsuguhorii.com
2022.07.01
haru nomura と人 vol.1吉田紳平(画家)
haru nomuraの周辺の人たちにスポットを当てたインタビュー形式のコラム「haru nomuraと人」。第1回目のゲストは、画家の吉田紳平さんです。
吉田さんには、haru nomuraのイラストを長年お願いしています。
出会いは大学時代。ふらりと私の作業場に遊びにきて、お茶を飲みながら、さらりと素敵なイラストを描いてくれる、穏やかな夜風のような友人でした。
彼の画家としての魅力は年々増し、現在は日本を拠点に、国内外で展示を開催しています。
今回は吉田さんに、日々の暮らしや、新たに公開になったBags &Productsのイラストの制作についてのインタビューをしました。
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Q.普段のご自身の活動や、暮らしについて教えてください。
画家をしています。幼少期に母とよく外へスケッチをしに行ったりして、花とか木とかをただ描くだけなんだけど、それだけで楽しくて、私にとって絵は身近な存在になっていました。
最初は高校から美術を専門的に学んで、その後美大へ進学しました(後に野村さんと学内で出会います)。美大を出たあとはドイツでの数ヶ月に渡る滞在制作を経験したり、現在は東京を拠点にしながら、国内外で展示をぽつりぽつりと行っています。主にポートレートを題材にしたものを10年程続けていて、ここ数年は絵画だけでなく時にインスタレーションと組み合わせて空間としての作品をつくることも試みています。
制作とは別に普段の生活では、料理をしたり、お茶の時間も大切にしていて、最近はとくに中国茶を楽しんでいます。
大きな理由があるわけではありませんが、ただお茶を飲むにしても、お湯を沸かし、湯冷ましをかけ、茶葉から旨みが出るのを待つなど、少しばかりの時間がかかります。だからこそ気持ちに余白がうまれ、普段なら見過ごしてしまいそうな日常のなかの小さな変化に触れることができる。それがお茶の魅力の一つだと思っています。
絵を描くことにしても、お茶の時間にしても、それらがもらたしてくれる余白そのものに価値を感じているのかもしれません。
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Q.今回のイメージカットの制作過程について教えて下さい。
シンプルに、野村さんがものをつくることのどこに面白さを感じているのかを知りたいという気持ちがありました。普段のように筆と絵の具でただ描くのではなく、草木染めを特徴とするharu nomura のかばんが出来上がるまでの工程そのものをイラストに置き換えてみれば何かつくれないかな、とか考えて、頼まれるわけでもなくほぼ思いつきでやり始めました。(野村さんと何かするときはいつもそんな風に、自然に始まることが多いです)
まず、布を染料で染めるのと同じように紙を色で染めてみるとか、干して乾かして、作業台の上で生地を組み合わせるように、切り取った紙を台紙の上で並べてみるとか。
描くというより、組み立てるようにイラストにしていく。
そうして試しに作ったものから様々なバリエーションを少しずつ増やしていき、今回の貼り絵を手掛けました。最初から色紙を使ってやってみてもそれはそれできっとできるのかもしれませんが、手間がかかることでしか触れられない輪郭があることに途中から気づいたのだと思います。
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Q.haru nomuraとの出会いについて。
僕が通っていた大学の絵画コースは、染織テキスタイルコースと同じ建物にあって、他の知り合いの教室へ遊びに行ったときに野村さんと出会いました。最初、彼女の作業場を見てものをつくることがこれほど豊かで、おもしろいのか。と感動したのをよく覚えています。
それからは気分転換をしに何度か遊びに行って、いつも野村さんは自分がさりげなく描いた絵をすごく褒めてくれて、じゃあ、イラストもやってみましょう、ってなって。そういう自然発生的なことを繰り返しているうちに、気がついたらもうずっとharu nomuraのお仕事に関わらせてもらっていました。ありがたいことです。
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Q.haru nomuraのかばんでお気に入りがあれば、教えて下さい。
ほぼ毎日使っているのは旅するかばんです。とにかく軽くて、コンパクトに畳めるので旅先でも必ずリュックに入れていて、現地で大活躍してます。もう一つのお気に入りは巾着です。イヤフォンやスケジュール帳、文庫本などの細々したもの詰めてみたり、大きなかばんを持つほどでもないときに財布やスマホを入れたりするのに重宝しています。
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Q.さいごに。
私は3月生まれなので春の花が好きです。そのなかで好きなのは、ムスカリ、クロッカス、チューリップです。とくにムスカリの花を見ると、昔に母が描いたムスカリの水彩画を思い出します。軽やかな筆運び、淡いサックスブルーの滲み、木製の簡素な額縁。さりげなくて、風通しのよい小さな絵でした。
その絵は特別に価値があるという訳ではなく、言うならばその家のお守りのようなものです。きっとharu nomuraを好きでいる人たちにとっての、ひとつひとつのかばんがそうであるように。
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【Profile】
1992年奈良県生まれ。2014年京都造形芸術大学を卒業。
絵画を主なメディアとし、現在は東京を拠点に活動。
静かで控えめな色彩のポートレートを描いている。2018年にドイツのアーティストランスペース〈FRISE〉にてアーティストインレジデンスに参加。以降はファウンドフォトを題材にした色鉛筆によるポートレートシリーズや、自身のプライベートな体験から着想を得たインスタレーション作品を展開している。主な個展に「There was a silent night on my side」(FRISE、ハンブルク/2019年)、「That star at night is closer than you think -夜のあの星は、あなたが思うよりも近くにある」(keiokairai gallery 、京都/2021)、「Blick der Imagination-空想のまなざし 」(Mikiko Sato gallery、ハンブルク/2021)、「For example, it is the wind against your cheekたとえば、それはあなたの頬に当たる風」(GALLERYcrossing,岐阜/2022)などがある。
【Instagram】
@peyysd